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早稲田の「横の展開」VS慶應の「魂のタックル」

両校を代表するOBである五郎丸歩氏(左)と廣瀬俊朗氏(右)
両校を代表するOBである五郎丸歩氏(左)と廣瀬俊朗氏(右)
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――まずはおふたりが「早慶」に進学した動機、経緯を教えてください。

廣瀬俊朗氏(以下、廣瀬) 実は当初、早稲田に行きたいなと考えていたんです。高校時代は横に展開していく早稲田のラグビースタイルに憧れていました。でも、ぼくが高校3年のときに創部100年を迎えた慶応が14年ぶりに大学選手権で優勝しました。ちょうど進学先を考えている時期に、監督だった上田(昭夫)さんから「慶応大でやらないか」と電話や手紙をいただいたんです。慶応大は日本ラグビーのルーツ校で、伝統がある。その上、勢いもありましたからね。慶応大でラグビーを、と進学を決めました。

五郎丸歩氏(以下、五郎丸) 私の場合は、2つの年上の兄(五郎丸亮さん)の存在が大きかった。子どものころから兄と一緒にラグビーをやっていたんですが、いつか兄に勝ちたいという一心で、兄がプレーする関東学院大以外に進みたいと考えていました。早稲田に入る決め手になったのは、私が出場した九州大会を見に来ていた監督の清宮(克幸)さんに声をかけていただいたこと。

廣瀬 ゴローたちの世代は早稲田の黄金期だったよね。

五郎丸 早稲田の伝統は、ボールをバックスに展開していくスタイルのラグビーです。ただ私たちの世代は、重戦車と呼ばれた明治大に勝てるほど、フォワードも強かった。

早大ラグビー部には、大学選手権で優勝したときだけ歌うことが許される「荒ぶる」という部歌があって、これを歌うことが大きな目標になっていますが、我々の時代はそれ以上に、その先の日本選手権で社会人のチームに勝つことが最大のターゲットでした。トシさんが現役時代の慶応大はどんなチームだったのですか?

佐賀工業高校時代には3年連続で花園に出場し、U17日本代表にも選ばれた五郎丸氏は、早大でも1年時よりフルバックのレギュラーとして活躍
佐賀工業高校時代には3年連続で花園に出場し、U17日本代表にも選ばれた五郎丸氏は、早大でも1年時よりフルバックのレギュラーとして活躍

廣瀬 1年生のときは前年の優勝メンバーが残っていて、ボールを蹴らずに継続していくラグビーをやっていこうとしていて。ただ2年時に早稲田に清宮監督が就任されて一気に力をつけていくなかで、自分たちはどんなラグビーで対抗していくべきか、どうしたら強くなれるのか……と模索し、試行錯誤する時期に入りました。

早稲田の横の展開、明治の重戦車フォワードに対し、慶応というと「魂のタックル」を連想するファンの方々も多いかもしれませんが、ぼくが学生だったころは、タックルだけがチームを象徴するという印象はなかった。いま振り返ると、時々の選手の適正やチームの状況でラグビースタイルが変化していたように思いますね。