武道三十数段の理由

なぎなた、居合道、銃剣道、短剣道。剣道の他にも、私は複数の武道を稽古しています。すべての段位を合わせると、三十数段になります。海外の武道愛好家のなかには、「技のコレクター」や「段位のコレクター」と呼ばれる武道オタクもいますが、私はなにも武道のコレクションをしているわけではありません。

なぎなたと居合道に出会ったのは19歳、1989年の再来日の時でした。千葉県勝浦市の国際武道大学で開催された日本武道館主催の「国際武道文化セミナー」に参加した私は、同大学が半年間以上の短期留学生を募集していることを知り、そのまま勝浦の同大学のアパートで、半年間の留学生活を送ることになります。

なぎなたの試合の様子
なぎなたの試合の様子
すべての画像を見る

国武大では剣道の実技と講義を選択し、教授で武道教育の第一人者、故・小森園正雄先生や岡憲次郎先生の指導を受けることができました。

留学期間終了後、当時まだ大学に進学していなかった私は、日本での就労ビザの取得に苦労します。そんな折、兵庫県伊丹市にある全日本なぎなた連盟が、国際なぎなた連盟結成に向けて、英語と日本語の通訳を募集していることを知りました。渡りに船、その年の12月から、私は伊丹の連盟事務所で働くことになります。

事務所の近くには、江戸時代から続く「修武館」という道場があり、剣道の他、なぎなたと居合道も指導していました。そこで私は、古武道の天道流薙刀術、伯耆流居合術と、現代武道の居合道の稽古を始めます。

なぎなた師範の故・美田村武子先生を始めとして、修武館では女性も高齢者も稽古していました。そして立ち合うと、やはり勝てないのです。19歳の私は、年齢や性別、体格の壁を越えて生涯続けられる武道の魅力に、大いに触発されました。

翌90年、国際なぎなた連盟が結成されると、私は帰国して、ニュージーランドの大学に入学することになりますが、帰国までの1年間、剣道でも三段を取得し、範士九段の故・鶴丸壽一先生と範士八段の故・村山慶佑先生に、直接稽古をつけていただく機会にも恵まれました。

大学卒業後の1995年、私は国費留学生として、京都大学の大学院に留学、三たび来日することになります。90年代は武道の国際化が始まった時期で、剣道や銃剣道などでも、国際的なイベントや海外でのセミナーが、多数企画されるようになりました。私はこれらの催し物に、通訳として参加することになります。

私がなぎなたや銃剣道など、複数の武道を修行し、高名な先生方の指導を受けることができたのは、この時期に結ばれた縁によるものです。国際的なイベントには、トップレベルの武道家が、ゲストとして招かれます。普通なら指導してもらえないような、偉大な先生方と知り合う機会を得て、私は本当にラッキーだったと思います。