制度を真面目に守っている外国人たちまでもが、疑いの目で見られてしまう 

仮放免という制度が、今のままはっきりしない運用で続いてしまうと、本来守られるべき外国人の立場があいまいになり、「制度の外に取り残された存在」として見られてしまうことになる。

つまり、正当な手続きを踏んで在留している外国人であっても、制度がはっきりしないために、まるで法の枠組みの外にいるような印象を持たれてしまうのだ。その結果、不法就労や制度のすり抜けといった問題が目に見える形で表面化し、地域の中で不安や不信感を生む原因になってしまう。

さらに困ったことに、制度を真面目に守っている外国人たちまでもが、疑いの目で見られてしまう。これは非常に不公平な状況であり、社会全体としての信頼の土台が崩れていくことにもつながる。

行政が「誰がどこでどのように暮らしているのか」をしっかりと把握し、住民にもその情報が適切な形で共有されれば、こうした不安はある程度やわらげられるはずだ。いわゆる制度の「見える化」が、その第一歩になる。

浜田聡議員が公表した法務省の報告書、そして産経新聞の現地取材によって明らかになったトルコ南部の村人たちの証言は、日本の難民制度が「本当の難民ではない人たち」によって使われている現状を、非常にリアルな形で示している。

そこでは、日本に来た目的が「出稼ぎ」だったと明確に語られており、制度を利用して仕事をするために虚偽の申請をしている実態が赤裸々に語られていた。

本当に助けるべき人にまで正確に手が届かなくなる 

クルド人問題に全くやる気のない政府・自民党「国は何も明らかにしない」苦悩する住民と自治体 _2

こうした実態は、「難民とは迫害されて逃れてきた人」という私たちが一般的に抱いているイメージと大きく食い違っている。

難民制度は、本来そうした困難な状況にある人々を保護するために設けられたものである。その信頼性が揺らぐということは、制度の根本的な意味が失われることを意味し、制度そのものの存続すら危うくなってしまう。

難民制度をただ「人道的に正しいこと」として美しく語るだけでは、本当に助けるべき人にまで正確に手が届かなくなる。審査が混乱し、結果的に制度への不信が広がる。だからこそ、制度は厳しく運用されなければならない。

厳格な対応というと冷たく見えるかもしれないが、それはむしろ、真に必要な人を守るために不可欠な前提なのである。

もし制度が公平に運用されなければ、誠実に暮らす外国人と、制度を悪用する者との区別ができなくなってしまう。その結果、行政が恣意的な対応をせざるを得なくなり、市民の信頼もどんどん失われてしまう。

対応の基準は、「どこの国の人か」や「どんな宗教か」ではなく、その人の行動と、制度を守っているかどうかで判断されるべきである。

最も危険なのは、制度が見えないまま放置され、説明もされず、矛盾したまま運用されることである。そんな状態では、地域の安心感も失われ、人々の信頼も根本から揺らいでしまう。制度の整備と透明化は、もはや先送りできない課題である。