「このままだと5年しか生きられない」に告げられても…
右腕を失って1年、その生活はどうか。
「隻腕になっても特に不都合はありません。最初苦労したのはゴミ袋を縛ることかな。でも口を使うことでなんとかクリアしました。腕を失ってわかることは、みんなとにかく優しい。ごはん屋さんに行くと、店員さんが本当に親切にしてくれる。
どちらかというと、今は長い入院生活で弱った足腰のほうが問題。右足の中指がないのもあって、歩いてるとすぐバランスを崩してしまうんです。少しずつ一日に歩く距離を伸ばしていって、下半身の筋力を戻していかないといけませんね」
昨年12月には少年野球大会の開会式に出席し、左手で初の始球式も行った。マウンドの少し手前から投げたボールはワンバウンド投球となってしまったが、「マイナス10点」と冗談を飛ばすなど公に元気な姿を見せている。
しかし、病魔が去ったわけではない。
2024年1月には、同じく糖尿病が原因で心臓弁膜症を発症。かなりの重症で、この病気によって現状、心臓が35%しか機能していない。「
「いつも頭の片隅に死の恐怖があります。じつは去年の11月から4月まで腰の感染症で再入院していて、そのころは気持ちも落ち込んでいました。
でも今は体調もずっといいし、血糖値ももはや正常値なんです。それができるならもっと早くがんばっとけよって話なんですが(笑)、とにかく今は10年でも20年でも30年でも生きるつもりでいます。
目標はまずはキャッチボールができるようになること。またイチからトレーニングしていきます!」
右腕を失っても野球が生きる糧であることに変わりはない。後編ではそんな“野球人” 佐野慈紀の現在地と、世間を騒がせたあの騒動について聞く。
取材・文/武松佑季
撮影/榊智朗