ナンパリゾートやナンパスポットが各地にあった

昭和の時代は肉食系の人が多く、ナンパのことしか頭にない男やらナンパ待ちの女が一定数存在した。そのため、各地に「ナンパの名所」と呼ばれる場所があったりした。

1970年代後半から1980年代にかけて有名になっていたのは、伊豆七島(新島・神津島・式根島)や清里(山梨県)、与論島(鹿児島県)などだったが、特に凄かったのは新島で、ひと夏に約10万人もの若者が押し寄せ、「性の楽園」「処女捨て島」なんて異名まであった。

島内にはディスコやビヤガーデンもあり、女の子は「歩いていれば、1分に1回は声を掛けられる」といわれ、その奪い合いによるケンカも絶えなかったようである。また、「民宿で乱交が行われていた」とか、「夜明けの浜辺は捨てられた避妊具だらけだった」なんて話もよく聞かれた。

1986(昭和61)年には、あの田代まさし(!)が『新島の伝説』(秋元康作詞・鈴木雅之作曲)という曲を出しており、そこでは「新島に行けば〝DEKIRU〟そう信じてた(中略)[セリフ]僕の他にも〝兄弟〟がいるんじゃないかなと思って(中略)新島に行って〝OTONA〟になりたかった」と歌われている。

実際に当時行った知人に聞いたところ、「たしかに若者だらけ、ナンパだらけだったけど。ただ、普段からナンパに慣れてるような奴じゃなきゃ、ああいうとこに行ったって結局はダメなんだよ」と話していた。

神津島も同様の状況で、中心部にある渚橋は「ナンパ橋」と呼ばれ、警備に当たっていた警察官も無線で「ただいまナンパ橋……」などと連絡していたそうである。筆者は2000年頃に式根島の海沿いの露天風呂に入っていた時、地元の中年男に当時の話を聞いたことがあったが、当人は「あの頃はイイ思いしたなあ。もう入れ食い状態でさ」などと自慢気に語っていた。

大阪の道頓堀にある戎橋も女性をナンパしてひかっけるスポットであったことから「ひっかけ橋」と呼ばれていた
大阪の道頓堀にある戎橋も女性をナンパしてひかっけるスポットであったことから「ひっかけ橋」と呼ばれていた
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今は清里も寂れ、与論島も伊豆七島も嘘のように静かになっていて、海辺にいるのも家族連ればかりである。1990年代後半以降はナンパ文化自体が廃れてしまっており、現在の若者の多くは、異性を求めてギラギラしているのはみっともない、との感覚を持っているようだ。

若年男性の「草食化」が話題になってから久しいが(2022年版「男女共同参画白書」では、「20代独身男性の約4割がデート経験なし」と回答)、ある意味マトモになっている一方で、やはりこれは未婚・晩婚化、ひいては少子化の一因にもなっているのだろう。

1980年代に盛んにいわれた「恋愛至上主義」もどうかという感じであったが、若い時なら、ついつい、異性のことばかり考えてしまうくらいで、ちょうどよいようにも思える。今はかつての反動からか、むしろ逆方向に振れ過ぎている時代であるのかもしれない。