「歴史の生き証人」が明かすみのもんたさんの若き頃
昭和後期から平成にかけての熱量に溢れ混沌とした時代を、当事者として記者として見つめ続けてきた本橋さん。
取材をきっかけに、裏本の制作・流通グループの会長で、のちのAV監督・村西とおる氏と知り合うと、すぐに気に入られ、ビジネスパートナーとなった。
そこでまず任されたのが、村西氏が実質的経営者だった出版社が創刊を決めた、写真誌の編集長だった。
「1983年のことです。当時は写真週刊誌の『FOCUS』(新潮社・2001年休刊)が毎週200万部近く売れていて、それを当て込んで、村西さんが創刊したんです。
編集長を任され、粋のいい若手をかき集め、創刊したのですが、人件費で赤字がかさんでしまって。
おまけに会社の収入源である裏本が摘発されたり、村西さんが逮捕されたりと、踏んだり蹴ったりな状態が続き、結局創刊からわずか10号で廃刊になってしまいました。
それでも、デビュー前の中森明菜の初々しい写真とか、人気GSザ・タイガースのドラマーで人気絶頂期に引退して消えてしまった瞳みのる(ピー)の近影とか、迷宮入り事件とかスクープはいくつもありましたよ」(本橋さん、以下同)
しばらく隠遁した後、フリーライターに戻った本橋さん。
アンダーグランドな世界を追ってみようと、当時、債務者への暴力的な取り立てで問題になった消費者金融、杉山グループの故・杉山治夫会長を直撃した。
「杉山さんは借金返済のために、債権者に臓器売買を提案したりしていました。
また、ワイドショーの取材中に、取り立てた紙幣をばらまいたり、取材者に激昂して杖を振り回したりするなど過激な面がよく取り上げられていて。
でも会うと、苦労人だったからか、サービス精神旺盛なんですよ。取材のときは万札をばらまきながら威勢のいいことを言ってくれるんですが、臓器を売りたいという青年を励まして、死ぬ気で働けと、カネを握らせて帰らしたり。
その後1990年代になって、テリー(伊藤)さんが『浅草橋ヤング洋品店』(テレビ東京系)に出演させるんですけど、コンプライアンス的にまずかったらしくて1回きりで終わってしまった。でもいまは亡き消しゴム版画家のナンシー関が、いままで観た番組で最高だったと激賞してましたけど」
その後、杉山会長は2002年に詐欺罪で逮捕され、服役中にがんが発覚。2009年、そのまま獄中死したという。
「あなたの娘さんを殺した犯人なんです。どう思われますか」
同じころ、かつて世間を騒がせた殺人事件に再び脚光が当たったことがあった。
「1976年に愛人を殺害した罪で服役していた歌手の克美しげるが、1983年に出所したんですね。
克美さんは報道陣の前で被害者の父親に公開謝罪。共に記者会見を行った。
「記者やレポーターが『お父さん、あなたの横にいるのは、あなたの娘さんを殺した犯人ですよ。どう思われますか』と質問するんです。
今年はフジテレビの記者会見が話題になりましたし、ネットの過激な炎上が問題視されていますけど、昔はテレビの中でそれが行われていた。場所が移っただけで、今も昔も変わらないですよ」
克美氏はその後、再婚、2013年に脳出血により死去した。