熱海や宮崎が新婚旅行の聖地だった

海外旅行がまだ高嶺の花だった頃、新婚旅行では熱海や宮崎日南海岸に行く人が多かった。

そのため、昭和40年代には東京駅で新郎を胴上げしてバンザイ三唱する光景などもしばしば見られた(のちにはホームに「胴上げ禁止」の掲示も出された)。また、国鉄では見送り用の入場券が10枚付いた、「ことぶき周遊券」なるものも発売されていた。

宮崎が人気となったのは、1960(昭和35)年に、昭和天皇の第五皇女貴子内親王と島津家第12代当主・忠義公の孫で、旧佐土原藩主島津久範公を父にもつ久永氏が結婚し、その新婚旅行先として宮崎が選ばれたことが始まりだった。1962(昭和37)年になると、ご結婚(1959〈昭和34〉年)からまだ間もない皇太子ご夫妻が訪れたことで、青島・日南海岸周辺は「プリンセスライン」と呼ばれ、人気はさらに加速する。

日南海岸の「サンメッセ日南」に鎮座するモアイ像
日南海岸の「サンメッセ日南」に鎮座するモアイ像
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1965(昭和40)年に、川端康成原作のNHK連続テレビ小説『たまゆら』(最高視聴率44.7%)等多くの映画やドラマで宮崎が舞台となったり、『フェニックス・ハネムーン』(1967〈昭和42〉年:永六輔作詞、いずみたく作曲、デューク・エイセス歌)など、宮崎にちなんだ歌謡曲が作られたことも大きく影響していったようだ。

さらに、1967(昭和42)年には、京都発宮崎行きの新婚旅行専用列車「急行ことぶき号」も運行を開始。1974(昭和49)年に新婚旅行で宮崎を訪れたカップルは約37万組に達し、これは全国のカップルの約35%に相当していたともいわれている。

一方、東京からの近場の新婚旅行先として人気だったのが熱海だった。温泉があり、夜景も美しいということで、あまり費用がかけられない向きとなると迷わずこちらを選ぶことも多かった。

海岸にある「お宮の松」の前で記念撮影を行うのが定番で、そのため朝などは順番待ちになっていることもあった。こうした光景はしばしばテレビ番組でも取り上げられていたが、当時はアナウンサーも「新婚初夜を終え、さらに夫婦仲を深めた二人が……」なんてことを平気で話したりしていた。

昭和も終わり近くになると、ハワイなど海外旅行が一般的となり、国内も北海道や沖縄を選ぶ人が増えたため、「新婚旅行=宮崎・熱海」のイメージはだんだんと薄れていく。似たような装いをしたカップルたちが、駅でみなに見送られ、一緒の列車に乗って、同じ場所に行っていたのも、はるか昔のセピア色の記憶となりつつあるようだ。