利用される“鬱屈とした感情” 

氷河期世代への支援は自民党だけでなく、立憲民主党や国民民主党なども名乗りを上げている。1700万人以上いるというこの世代を票田にして、今夏にひかえる参院選で激しく奪い合う構図が自ずと見えてくる。

狙いを定めた背景に、氷河期世代が持つ「鬱屈とした感情」がありそうだ。

バブル期には、若者の就業観に変化が生じていた。企業の歯車などとして働くことを嫌い、自由を求めるフリーターが誕生した。その群像劇を描いた映画『フリーター』が公開されたのが1987年だった。

1990年代に入って深刻な就職難が始まっていたにもかかわらず、正社員になれない若者に対して世間は「自己責任」「甘え」などと突き放し、結果として雇用問題は放置された。

氷河期世代には、国や社会から見捨てられたという意識が根強い。いまだにSNSではたびたび「氷河期世代」というキーワードで盛り上がる現象が起こるが、その世代が負の感情で連帯しているようにさえ見える。

また、1972年から1983年までに生まれた男性は、社会における所得の不平等さを測る指標として使われる「ジニ係数」が他の世代に比べて高い傾向がある(「公的年金制度の所得保障機能・所得再分配機能に関する検討に資する研究」)。これは氷河期世代の男性の所得格差が大きいことを示している。二極化が進んだために、ボトムの人々の不満はより溜まりやすいのだ。

この世代は価値観の形成においても、不幸を経験しているといえる。

1997年に「パラサイト・シングル」という言葉が提唱されたが、これは親に寄生しながら自らの収入を自分のことにだけ使う独身者を指すものだった。当時、結婚しない「パラサイト・シングル」は華やかで自由なイメージを帯びていた。つまり、一定の年齢に達したら結婚しなければならないというかつての結婚観が変化していったのだ。

独身生活を謳歌する女性 ※写真はイメージです(写真/shutterstock)
独身生活を謳歌する女性 ※写真はイメージです(写真/shutterstock)

その潮流に就職難が合流する。そして、現在の「お金がないから結婚できない」という意識へと収束していった。これにより、不本意に結婚できなかったこともまた、国や社会に対する不満としても表出しやすくなったのだろう。

各党の選挙参謀はこうした感情に焦点を当てて、「見捨てていない」「救済する」などと手を差し伸べることで、この世代から近年の選挙戦において影響力を持つSNSなどでの世論を勝ち取る狙いがあるのではないか。