自分と車いすバスケのために決意したプロへの道

その1年後、鳥海にとって新たな挑戦が始まった。企業にアスリート社員として雇用される形ではなく、車いすバスケットボール選手として独立し、プロアスリートに転向したのだ。そしてアシックスとの所属契約を締結し、同社初のプロパラアスリートとなったことも同時に発表された。

プロへの転向は、それこそ大きなリスクを伴う挑戦でもある。確かに、東京2020パラリンピックを契機にパラリンピック競技やパラアスリートは日本社会に広く認知されるようになった。

とはいえ、競技スポーツとして市民権を得たとは言い難い。

そんななかでパラアスリートがプロとして活動していくことは、決して簡単ではないからだ。それでも恵まれた環境を自ら飛び出し、リスクを背負ってまでプロに転向した理由とは何だったのか。

「環境に対する不満はまったくありませんでした。問題は僕の中にあった。このままでは環境に甘えてマンネリになってしまうなと思ったんです。だから自分にプレッシャーを与えたかった。そうして原点に戻り、モチベーションを上げていかないと、このままでは成長が止まってしまうと思ったんです。

それと、もう一つは車いすバスケをもっと発展させていきたいということ。ただそう言いながらも、周りがやってくれることを期待して待っているような、そんな自分にもやもやしていました。だからプロに転向することで、より自分自身の活動を通して車いすバスケやパラスポーツを盛り上げていけたらと思ったんです」

今、鳥海の頭に描かれているのは、プロのパラアスリートが次々と誕生し、それが当たり前になる未来だ。そして、その開拓者の一人となることを決断してのプロ転向だった。

「鳥海連志にとって、プロフェッショナルとは?」そんな質問を投げかけたことがある。鳥海の答えは「どれだけ車いすバスケを本気で楽しめるか」だった。

その理由を、こう語る。

「プロとして一番大切なのは、どれだけバスケットにつなげて考えられるか、考えようとするかだと思っています。そういうなかで、僕はどれだけ車いすバスケを楽しんでやっているかってすごく重要な気がするんです。楽しいと思うから成長にもつながるし、得られるものも多い。好きだから苦しい練習もするし、食事も睡眠も入浴も生活のすべてをバスケットにつなげて考える。そしてこれが4年後の結果につながると思うと、ワクワクする。そういう気持ちが、自然といろいろなことをバスケットにつなげようとするんじゃないかなって。そう考えると、本気で楽しいと思えるかどうかって、プロとしてとても大事なことだと思います」

こうして23年9月、プロ活動がスタートした。しかし、車いすバスケットボールは実に厳しい競技の世界でもある。鳥海にとってプロとして初めて臨んだ公式戦で、男子日本代表にとって史上初の挫折が待ち受けていたーー。

[2022年U23世界選手権 ]金メダルを獲った1年後、同じタイの地で待ち受けていたものとは―(写真:X-1)
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写真/X-1 長田洋平/アフロスポーツ ・文/斎藤寿子