東京2020パラリンピック。パラリンピックは世界的な注目を集めるようになった
東京2020パラリンピック。パラリンピックは世界的な注目を集めるようになった
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今でこそパラリンピックは、オリンピックやサッカーワールドカップに次ぐ規模の国際スポーツ大会に発展し、社会的な影響も大きくなった。

テレビ中継を通じて障害者への理解が深まり、パラスポーツに参加する人も増え続けている。スポーツ文化の発展に与えるテレビの影響は大きいが、それはパラスポーツでも同じだ。

一方、報道する側にとってはパラスポーツをどう伝えるかについては悩みが絶えない。アスリートを「困難な経験を乗り越えた人」と単純に描くことは、お涙頂戴の「感動ポルノ」と批判されることもある。

では、アスリートとしての面だけを強調して描けばいいかというと、そう単純ではない。陸上男子走り幅跳びのマルクス・レームのように、健常者の世界記録を超える可能性のあるパラアスリートもいるが、そういった「スーパー障害者」の存在だけがパラスポーツの魅力ではないからだ。

そんな葛藤を抱えながらもパラスポーツの魅力を伝えようと真正面から取り組み、国内外から高い評価を得ているテレビ局がある。日本初の有料衛星放送局として1990年に開局したWOWOWだ。

WOWOWでは、パラアスリートや障害を持つアーティストの内面に迫ったドキュメンタリーシリーズ『WHO I AM』で米国テレビ界の最大の祭典であるエミー賞にエントリーされたほか、数々の受賞歴がある。パラスポーツを伝える「葛藤」をどのように乗り越えたのだろうか。その軌跡を追った。

素人がパラスポーツの世界へ

2015年、WOWOWでプロデューサーとして働いていた太田慎也氏は、突然の配置転換に戸惑っていた。

『WHO I AM』チーフプロデューサーの太田慎也氏
『WHO I AM』チーフプロデューサーの太田慎也氏

2013年9月に東京オリンピック・パラリンピックの開催が正式決定し、WOWOWでも大会にどのような関わり方をするかで議論が活発化していた。そのなかで、国際パラリンピック委員会(IPC)と協力し、パラアスリートのドキュメンタリーを制作することが決まっていた。

しかし、具体的にどの選手を取り上げるのか、そもそも「どんなドキュメンタリーを撮るのか」すら決まっていなかった。その状況で、太田氏に制作の統括役として白羽の矢が立ったのだが、本人としては喜びにあふれた人事ではなかった。

当時の気持ちについて太田氏は、「ドキュメンタリーを撮れと言われても、パラスポーツの知識はまったくない。それに、当時進めていた仕事をすべて外されてしまって、正直、不満もありました」と振り返る。

とはいっても、上司から指示が出た以上はその仕事をしなければならないのが会社員の宿命である。まず日本国内のパラスポーツの大会に取材に行ってみたものの、2015年時点での日本国内の大会は、お世辞にも盛り上がっているとは言えなかった。「障害者がスポーツを頑張っている大会」という雰囲気を感じてしまった太田氏は、さらに頭を抱えるしかなかった。

悩んでいてもしょうがない。そこで思い切って、同年7月に英国のグラスゴーで開催されるパラ水泳の世界選手権に行くことにした。

2012年に開催されたロンドン・パラリンピックでは、どの競技でも連日たくさんの観客が押し寄せ、パラリンピックが国際スポーツ大会としての地位を確立した。そのことは知識として理解していても、実際にどのような大会なのかはまったくわからない。それで現地に足を運んでみたのだが、これが驚きの連続だった。

「会場ではアップテンポの音楽が流れて、MCが客席を盛り上げていました。世界選手権なので、選手たちは各国の代表ジャージを着て、誇りを持ってプレーしている。ただひたすらどの選手もカッコよかった」(太田氏)

太田氏を圧倒し、番組の方針を決定づけたパラ水泳世界選手権
太田氏を圧倒し、番組の方針を決定づけたパラ水泳世界選手権
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レース後のインタビューを聞いていても、家族や仲間と一緒に着実に歩みを進めて目標を達成している。その姿を見ると、障害を持ったアスリートが「自分なんかより人生をエンジョイしてる」としか思えなかった。その時だった。「これはすごいドキュメンタリーを撮れるかもしれない」と直感した。

「結局、『障害者は困難な人生を歩んでいる人』と決めつけていたのは自分だったんですよね。プライドを持って競技に取り組んでいるパラアスリートの姿は純粋にカッコよかった。『番組を制作して障害者を応援したい』なんて考えていた自分が、本当に恥ずかしくなってしまいました」(太田氏)

障害がある、ないは考えない。その人のありのままの姿を撮る。そんなドキュメンタリーを制作することを決めた。