『ダウンタウンDX』の終了と偉大さ
4月3日、かつてダウンタウンの二人が並び立っていたその立ち位置には、“代役トップバッター”のかまいたちがいた。
かまいたちの濱家隆一は、MCの浜田が木づちでよく叩いていたゴングを「1回、叩いとこ」と鳴らしてみせた。かまいたちにとってその瞬間は、恐れ多さと同時に「自分たちもついにここまで来たか」という達成感が得られたのではないだろうか。
以降も『ダウンタウンDX』は、千鳥(4月10日放送回)、ロンドンブーツ1号2号の田村淳(4月17日放送回)、東野幸治(4月24日放送回)らをブッキング。松本の復帰時期は依然として見えないが、とりあえず浜田が戻ってくるまでは“代役体制”で乗り切るものと思われていた。
ただ、ダウンタウン側より事務所を通じて「活動休止によって多くの関係者の方々にご迷惑をおかけしている」との意向が示され、番組側も総合的に判断して放送終了の決断に至ったという。
それにしてもなぜ『ダウンタウンDX』は放送終了し、他の冠番組である『水曜日のダウンタウン』(TBS系)、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)は続行できるのか。
これは極論だが、前者はダウンタウンがいないと成り立たず、後者の2番組は企画ありきとあってダウンタウン不在でもやっていけるからではないか。
『ダウンタウンDX』はトークメインの番組。MCであるダウンタウンの存在感はやはり大きく、代役MCに切り替わってからの違和感は強かった。
『ダウンタウンDX』は、若手時代のダウンタウンの可能性を広げたトークバラエティだった。番組が始まったのは1993年。ダウンタウンはもともと大阪を拠点とし、夕方の帯番組『4時ですよ~だ』(毎日放送)で人気を博した。1989年に東京へ進出し、同年『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』、1991年に『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)が始まった。
ただ、これらの番組に共通して言えたのは「内輪的なノリ」である。今田耕司、東野幸治ら大阪時代からの仲間や、ダウンタウンのノリがわかる近しい芸人たちでスクラムが組まれていた。
その一方で、バラエティ番組にゲストで呼ばれた際のダウンタウンは若手芸人の勢いで好き勝手に振る舞った。『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』(日本テレビ系)では司会の逸見政孝さんに「このボケがぁ!」と暴言を吐き、大御所の加山雄三も「こら加山」と呼び捨てに。『笑っていいとも!』(フジテレビ系)でも司会のタモリを呼び捨てにしたり、強くツッコミを入れたりした。
浜田は自著『がんさく』(1997年/ワニブックス)で、
「東京に来て最初のころは。木を切り倒すのに必死やったなぁ〜。“何やこいつら、メチャクチャやなあ、何もんや!?” まず人にそう思わせなあかん」
「ダウンタウンが出てきたら、何しよるかわからへん、見てる人がそんなん思う状況を少しでも早う作りたかったんですよ」
と明かしている。そのように当時のダウンタウンは、良くも、悪くも責任を負うことなく自分たちのフィールドの中で暴れ回っていた。