「自虐風自慢」

ある時、著者はほうれん草のおひたしを作るのに、赤い根の部分を切り落として捨てていたのを老師に見つかり諭されます。

「いちばん、うまいとこを捨ててしもたらあかんがな」

老師は怒るふうでもなくそう言い、

「よう洗うて、ひたしの中へ入れとけ」

と指示するのです。

少年時代の著者は、酒好きの老師のために、食事を求められたら、とりあえず昆布の素揚げに塩を添えて供します。そこから、畑で採れたわずかばかりの野菜を前に、それをどう料理するかを考え始めます。

そんな著者は味付けに「味醂(みりん)はつかっても、なまなかのことでは酒はつかわない」と言います。ほほう、そこに精進料理のいかなる神髄が?と興味深く読み進めると、何のことはありません。

本孝老師は酒好きだったから、料理の味つけにつかったりすると叱られた。それがいまもぼくにのこっている。

思わず、ずっこけてしまいます。

そんな少年時代を送った著者が人気作家になってから長野の田舎で作る四季折々の料理は、いかにもストイックな精進料理です。同時に、本孝老師の飄々たる振る舞いをそのまま受け継いだかのように、のほほんと牧歌的でもあります。

そして更にそれはある意味、享楽的ですらあるのです。

畑で採れた土の匂いがする季節の野菜や、質素な乾物でシンプルに作られるその料理を、著者は「貧しく汚らしいものに思えるかもしれない」と一応、卑下しますが、もちろん本心ではそんなことは露ほども思っていないのは明らかです。

写真はイメージです
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今どきの言葉で言うならば「自虐風自慢」といったところでしょう。著者はただただ自分がうまいと思うものを喰らい、またそれで来客をもてなしたいのです。本当にそれだけなのです。

清々しいまでのエピキュリアン。人間、かくありたいものです。


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食の本 ある料理人の読書録
稲田 俊輔
食の本 ある料理人の読書録
2025年4月17日発売
1,067円(税込)
新書判/224ページ
ISBN: 978-4-08-721357-7

人生に必要なことはすべて「食べ物の本」が教えてくれた――。
読めば読むほど未知なる世界を味わえる究極の25作品。

食べるだけが「食」じゃない!

未曾有のコロナ禍を経て、誰もが食卓の囲み方や外食産業のあり方など食生活について一度は考え、見つめ直した今日だからこそ、食とともに生きるための羅針盤が必要だ。

料理人であり実業家であり文筆家でもある、自称「活字中毒」の著者が、小説からエッセイ、漫画にいたるまで、食べ物にまつわる古今東西の25作品を厳選。

仕事観や死生観にも影響しうる「食の名著」の読みどころを考察し、作者の世界と自身の人生を交錯させながら、食を〈読んで〉味わう醍醐味を綴る。

【作品リスト】
水上 勉『土を喰う日々』
平野紗季子『生まれた時からアルデンテ』
土井善晴『一汁一菜でよいという提案』
東海林さだお『タコの丸かじり』
檀 一雄『檀流クッキング』
近代食文化研究会『なぜアジはフライでとんかつはカツか?』
玉村豊男『料理の四面体』
野瀬泰申『食は「県民性」では語れない』
三浦哲哉『自炊者になるための26週』
加藤政洋/〈味覚地図〉研究会『京都食堂探究』
原田ひ香『喫茶おじさん』
千早 茜『わるい食べもの』
ダン・ジュラフスキー/[訳] 小野木明恵『ペルシア王は「天ぷら」がお好き?』
畑中三応子『ファッションフード、あります。』
上原善広『被差別の食卓』
吉田戦車『忍風! 肉とめし 1』
西村 淳『面白南極料理人』
岡根谷実里『世界の食卓から社会が見える』
池波正太郎『むかしの味』
鯖田豊之『肉食の思想』
久部緑郎/河合 単『ラーメン発見伝 1』・『らーめん再遊記 1』
辺見 庸『もの食う人びと』
新保信長『食堂生まれ、外食育ち』
柚木麻子『あいにくあんたのためじゃない』
森 茉莉/[編] 早川暢子『貧乏サヴァラン』

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