誰もがすぐそれを真似したくなる
しかし、すっかりこの本に感化されてしまった僕は、大根おろしを水に晒すことを勝手にやめました。晒さない大根おろしは時間を置くと茶色く変色してしまうので、なるべく直前にその場でおろすことにした結果、提供時間に遅れが生じることもありました。
炊き合わせ用の里芋は相変わらず言いつけ通り分厚く剝いていましたが、その皮をとっておいて素揚げして、八寸(細々した盛り合わせ料理)の隅っこにこっそり、味噌を塗って配置しました。
そのあたりまでは見て見ぬふりをしてくれていた師匠ですが、大根と人参の皮を剝かずに煮物にした時はさすがに、「気持ちはわからんでもないがやりすぎである」と釘を刺されました。思えばいろいろ偉かったな、師匠。
このエピソードは、僕がとかく影響を受けやすく、なおかつそれを軽率に実行に移す無駄な行動力があるという話ではあります。
しかしそれは同時にこの本が、僕でなくても和食に興味があれば誰もがすぐそれを真似したくなる……もう少し直截的に言えば「かぶれてしまう」、そんな強い影響力に満ちた1冊であることも物語っているのではないでしょうか。
著者(水上勉)は9歳から禅寺に入り、その後16歳からの2年間、東福寺管長だった尾関本孝老師の隠侍として、食事や身の回りの世話などを務めました。本書ではその当時の、主に料理に関する師の様々な教えが繰り返し回想されています。
そして著者は、自分の料理は、先達の教えから学んだことを忠実に守っているだけである、ということをまた何度も述べています。
そう書くと、もしかしたらそこに、禅宗の寺院ならではの厳格な教えやしきたり、つらい修行の日々みたいなことを思い浮かべるかもしれませんが、少なくともここで描かれる当時の生活は、どこかのほほんとした印象すらあります。