世界に類をみない日本の食文化を未来へと守り伝えていきたい

老舗料亭「菊乃井」の3代目主人、村田吉弘さん。京都・八坂神社の近く、高台寺の深い緑につつまれて静かに佇む菊乃井本店は、大正元年(1912年)に料理屋として創業し、15年連続ミシュラン三ツ星に輝く日本料理の名店です。伝統的な味を守りながら、新しい味を生み出し続けてきました。

一方、村田さんは、2004年に「日本料理アカデミー」を設立し、2013年の「和食」のユネスコ無形文化遺産への登録に尽力するなど、日本料理を世界に発信するリーダー的存在としても知られています。日本料理や料亭文化を、誰もが楽しめるものとして未来へと受け継いでいくためには何が必要なのか。新刊『ほんまに「おいしい」って何やろ?』には、フランスを放浪した若き日の失敗談から京都の先達たちの教え、そして辿り着いた「おいしい」の神髄まで……一つの道をしなやかに究める人生哲学や、人を幸せにするためのヒントが綴られています。刊行にあたり、お話を伺いました。

聞き手・構成=砂田明子/撮影=畑中勝如

世界に類をみない日本の食文化を未来へと守り伝えていきたい『ほんまに「おいしい」って何やろ?』村田吉弘 インタビュー_1
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80歳のおばあちゃんに
「これも京料理」と言ってもらえるかを考える

―― 新しい料理を考えているときが一番楽しい、と書かれています。G7広島サミット2023の料理を担当されたときは、地元の食材を使った「広島レモン味噌汁の冷製」や、お好み焼き風の日本料理を考案し、首脳たちのみならず、広島の人たちを喜ばせました。食への情熱が衰えない原動力はなんでしょう?

 結局ね、自分がうまいもんを食べたいんですよ。料理人としては、食べるのが好きなのは絶対条件でしょうね。フランス料理を食べてもイタリア料理を食べても、どうやってできてるんやろうとか、こうやったほうがもっとおいしくなるんちゃうかとか、いつも考えているんです。

 そうやって考えてつくった料理に、お客さんからお金をいただいて、おいしかった、ありがとうとまで言ってもらえる。何とハッピーな仕事をしているんだろうと思いますね。

―― 村田さんは常に新しい料理法を求め、菊乃井で修業されたことのあるコペンハーゲンのレストラン「ノーマ」のレネ・レゼピ氏をはじめ、世界の一流料理人たちとも深く関わってこられました。伝統と革新のバランスをどう考えていらっしゃいますか?

 それが難しいんです。日本料理の伝統を守るには、革新を続けなければいけないんですが、無国籍料理をつくってはダメなんです。その境目がどこにあるかといえば、京料理を食べてきた80歳のおばあちゃんが、「私らは知らなかったけど、こういう京料理もあんねんな」と思ってくれるかどうか。新しい料理を出してそう思ってもらえたら、オーケーやと思います。「奇妙なもん出てきたわ」と思われたら失敗です。「妙やけど、これも京料理やな」と思ってもらうためには、新しいものをつくったときに、昔からあるようなスタイルに仕立てるのが重要やと思っています。

―― 味は新しく、見せ方は古く、なんですね。

 この頃ね、見せ方を新しくする料理ってけっこうあるんです。簡単な例でいえば、平皿に ( はも ) を盛って梅肉かけて、「鱧の梅肉ソースがけ」などと言うんです。昔からある京料理の「鱧の落とし」とほとんど同じやのに、ネーミングや盛り付けで妙に新しく見せようとする。僕のやり方は反対で、料理自体を斬新にして、見せ方は古い形を踏襲するんです。世界中の人に、日本料理はすごいなあと驚いてもらうと同時に、京都で生まれ育った80歳のおばあちゃんにも「おいしい」と言ってもらえるような料理に仕立てたいと考えています。

お金儲けだけで判断すると、絶対に間違う

―― この本は、村田さんの職と食の履歴書にもなっています。跡継ぎという立場に半ば反撥し、21 歳のとき、料理人にはなるけれどフランス料理をやろうと、単身、フランスに旅立ちます。初めてのチーズにワイン、異国の人の優しさと挫折……若き日の放浪記に笑い、ほろりとさせられます。

 お金がなくて、ソルボンヌ大学の学食に潜りこんだりしていました。当時学食は、2フラン、120円ほどだったんです。おいしかったですね。さすがフランスやと思いました。

 そんなふうに通っていたソルボンヌ大学で、のちに僕、講義をしたんです。僕らが和食をユネスコの無形文化遺産に登録してもらおうと頑張っているとき、日本政府はほとんど協力してくれなかったんですが、アラン・デュカスが力を貸してくれたんですね。フランスのホテル・プラザ・アテネのデュカスの店にヨーロッパ中のメディアを招いて、僕が日本料理を振る舞うというイベントを開いてくれました。そのとき協力してくださった一人が、高名な地理学者で、ソルボンヌ大学の学長もされたジャン=ロベール・ピット先生。ピット先生の奥さまは日本人なんですよ。そうしたご縁もあって、後年、ソルボンヌ大学で日本料理についてお話ししました。学食を食べていた頃は、そんな未来が来るとは思いもよりませんでしたが。

―― フランス料理を学ぼうとヨーロッパ武者修行に旅立った村田さんでしたが、日本料理が欧州であまりにも理解されていないと知り、むしろ日本料理への思いを強くしていきます。

 ちょうど僕と同じ頃に、「オテル・ドゥ・ミクニ」の三國清三 ( きよみ ) 君もパリにいたんです。彼のように「フランス料理のジャポネーズ化を考える」ということを、僕は発想できなかった。なんやかんやいっても、日本料理屋の〝ぼん〟やったということでしょう。

―― その京都の老舗店の〝ぼん〞のパワーやネットワークが、日本の経済や社会、文化を動かしていることもこの本でよくわかります。〝ぼん〞の強さとはなんでしょうか?

 ぼんはね、ぼんであることを卑下しがちなんです。ぼんはひ弱で、たたき上げの人には勝てへんって思っているんです。でも、そうやないって僕は言っています。

 京都のぼんってだいたい、小さな車に乗っています。小回りが利いて走りやすいからそれで充分、というのがぼんの価値観で、人から評価されたいとか偉くなりたいとはあまり思わないんですよ。その代わり、「面白いこと」しかしたくないと思うんです。だから誰も見たことがないような、斬新なものを生み出します。それから京都のぼんたちは子供の頃から仲がいい。経験もあるし、そこそこ学歴もあるようなぼんのネットワークが、文化の厚みをつくるんだと思います。

―― 若き日にフランスで決意した「日本料理を世界の料理に」を実現するために、京都大学の学者らと組んで料理を科学的に研究する「日本料理アカデミー」を設立するなど、ご自身の店の枠を超えて、日本料理のために働いてこられました。そうした高い視座に立つ活動ができたのはなぜでしょうか?

 誰かが言い出さないことには、ものごとって動かないんです。革命というのは一人から起こるんです。そこからだんだん広がっていくわけですが、最近は損得を考えて、言わないほうが得、と考える人が多くなりましたね。

 仕事でも自分の人生でも、損得だけでものごとをはからないことが重要やと僕は思っています。損してもやらなければいけない仕事ってありますし、損得だけ、もっというとお金儲けだけでものごとを判断すると、絶対に間違うと思います。

世界で注目を集める「UMAMI」と「発酵」

―― そうした村田さんの思想は、〈料理屋や料亭はその街の「公共」〉という言葉にも表れています。非日常を提供する料亭は、ハードルが低い場所ではなくとも、誰にでも開かれた場所であるべきだと。だからこそ、一人5万円以上するような東京の鮨屋の在り方に、疑問を示されています。

 料理屋を含め、電話帳に載るような商売というのは公共であるべきなんです。それが「普通の人が一生かかっても行けないようなところ」になっているというのは変な話で、変なものは、長く続きません。普通の人に支持されないものは、長い歴史のなかで、存続できたことがないんです。

―― 菊乃井は日本人客のために、外国人客を四割以上とらない、という制限をもうけていらっしゃるんですね。

 地元のお客さん、日本人のお客さんが入れないお店は、やっぱりおかしいと思うんですね。昔、フランスの三ツ星のタイユヴァンに行ったら、お客さんが全員日本人だったことがあります。そういうお店は、客にとっても、あまり心地よくないなあと僕は思ったんです。店の儲けを考えたら、外国人客をどんどん入れたほうがいいんですよ。でも、それは誰のための、何のための儲けなのか、って思いますね。

―― 日本料理は「料理三割、サービス三割、あとの四割は空気」とあります。「おいしい」はファジーの世界であり、さまざまな調和によって生み出されることがわかります。

 ほんまにおいしいというのは、口の中だけがおいしいのではなくて、ハートがおいしくならないといけないわけです。そのためには仲居さんの立ち居振る舞いからサービス、建物、庭、部屋の ( しつら ) え、料理の器まで含めた、いわば総合力が関係してくるということです。

―― 味に関して言えば日本料理の特徴は「うまみ」にあり、「うまみ」や、うまみをベースにした「出汁」が、世界の料理に大きな影響を与えているんですね。

 世界のほとんどの料理は「糖質と脂質」を中心に構成されていますが、世界に一つだけ、「糖質とうまみ成分」で構成されている料理がある。それが日本料理です。だから海外の人は、ものすごく不思議がるんですよ。きれいな色をした、カロリーの低い食べ物が、なんでこんなにおいしいんやろうと。今、世界の料理人のあいだで「UMAMI」は通用します。それから「発酵」の技術も世界で注目されていますね。こうした世界に類をみない食文化をもっていることを、日本人はもっと誇りに思ってほしいし、それを未来へと守り伝えていくことが、自分の使命だと思っています。

―― そのために、今、村田さんが取り組んでいることを教えてください。

 日本の海には1500種類もの海藻があって、それらにはミネラルやタンパク質が含まれています。将来の食糧危機を昆虫食が救うと言われていますけど、昆虫よりは、海藻を食べたほうがいいでしょう? と考えて、日本の海の環境を整え、〝シーベジタブルファーム〟に変えるためのプロジェクトをはじめています。飽食の時代は終わり、日本の人口減少は止められない上に、農業従事者は減っています。未来の子どもたちが飢えないために、食に関してできること、良いと思うことは、全てやりたいと思っています。

ほんまに「おいしい」って何やろ?
村田 吉弘
ほんまに「おいしい」って何やろ?
2024年9月26日発売
1,980円(税込)
四六判/248ページ
ISBN: 978-4-08-781759-1
著者の村田氏は、京都の老舗料亭「菊乃井」の跡取りとして生まれ、「ほんまにおいしいものって何や?」ということを追及して70余年。
世界中の美食を食べ歩き、味覚そのものを研究するアカデミーを作り、「日本料理店」として現在まで本店・支店で併せて7つものミシュランの★(星)を獲得し続けている「料理界のカリスマ」である。
アラン・デュカスをはじめフランス料理のカリスマ・シェフたちとの交流も深く、アカデミーの仲間たちとともに「和食」をユネスコの無形文化遺産にも押し上げた。
広島サミットの料理は各国首相に絶賛された。料理界を代表する文化人として史上初めての黄綬褒章を受け、文化功労者にもなり、「京都の伝統や日本文化のご意見番」としても知られている。
そんな村田氏も若き頃は、フランス料理のシェフをめざして行ったパリで放浪生活を送り、ソルボンヌの学食やフランス料理のレストランで受けた人情の温かさに感動する。
やがてフランス料理の文化的な奥深さに感じ入り、自分がなすべき仕事は「日本料理」と自覚する。
日本に帰ってきたあとは、修行先で包丁を突き付けられるほどのいじめにあうが、人の嫌がることを率先して引き受け何倍も働き、次第に周囲に実力を認められていく。
初めて店長を任された新店に閑古鳥が鳴く中、夜の商売のお客から大会社の会長まで、皆から何かを教えられ、やがて一流の料理人として、経営者として成長していく。
昨今の、おおげさに「うま~い、おいしい」を繰り返すテレビのグルメ番組や、「お金さえだせば、おいしいものを食べられる」と勘違いするグルメ・ブームには、ぴしゃり!とダメだしをしつつ、身近な給食や家庭の手料理まで「おいしさの本質」を追及し、後進を育てている。
抱腹絶倒! 歯に衣を着せぬ食の世界と波乱万丈な人生を語り、食の本質、食の未来を熱く迫る! (豪華カラー口絵つき!)
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