1938年から1980年まで巨人の一塁手はたった2人
前述のとおり、若いころは「王、王、三振王!」と言われた粗い打者で、プロ2年目の1960年には101三振を喫しているが、1962年に一本足打法を会得してから三振は減り続け、72年48本塁打43三振、73年51本塁打41三振、74年49本塁打44三振、76年49本塁打45三振、77年50本塁打37三振と、本塁打数が三振数よりも多い年が5年もあった。
王の場合、ボールをじっと凝視し、狙いすましてボールの芯を打ち抜いていたのだ。ストライクゾーンを外れた球には見向きもしなかった。この点、王貞治は、同じ左打者であり、巨人の正一塁手の前任者である川上哲治の流れをくむ打者だと言える。
川上はめったに三振をしない打者で、1951年は97試合424打席に立って6回しか三振をしなかった。この年、当時のプロ野球最高打率の.377で3回目の首位打者を獲得しているが、振り回すのではなく、確実にミートする打者だった。
王貞治は打撃コーチ荒川博の弟子だと言われるが、川上が引退した翌年に巨人に入団した王を川上はコーチ、監督として16年間も指導している。その打撃技術を継承したと考えるべきではないか。
巨人の一塁手は1938年に川上が入団してから1980年に王が引退するまでの43年間、川上と王の2人しかいなかった。この2人が日本独自の打撃技術を頂点まで磨き上げたのではないか。
もちろん、王貞治の時代と現在では、投手も大きく変わっている。今の投手は155㎞/h超の速球や変化量の大きな変化球を何種類も投げる。今、王貞治の打法でどれだけホームランが打てるかは大いに疑問ではあるが、日本野球の打撃技術の金字塔として王貞治の868本塁打は、今後も輝き続けることだろう。
筆者は、大阪球場やナゴヤ球場で現役時代の王貞治を見ている。高く足を挙げたまま打席で微動だにしなかった王の姿を生で見たことを、今後も自慢話にしたいと思う。
文/広尾晃