東京オリンピックによる恩恵
しかし、ここで伊丹にとって、そして神宮球場にとって予期せぬ幸運が訪れる。
64年開催が決まった東京オリンピックである。これに先立って、国立競技場への高速道路が建設されることが決まった。その用地の一部が神宮外苑の敷地であったため、首都高速道路公団からの要請により、建設用地を売却することが決まったのだ。明治神宮にとって、この譲渡金は予期せぬ「臨時収入」となった。
東芝からの寄進白紙が決定した後も、伊丹はナイター施設計画を諦めていなかった。こうして、61年10月5日の外苑運営委員会において、「神宮球場増改築・ナイター施設案」を提出、承認された。そして10月30日には大学野球を筆頭に、高校、社会人野球関係者に事情説明を行う。この席において、「翌春開幕までにスタンドの増改築工事を終えること」「収容人員が増加すること」「ナイター施設を完備すること」、そして、大学野球関係者にとっての懸念事項である「使用料の値上げを行わないこと」を決めた。
それでもまだ反対意見を述べる者はいたものの、今回の近代化計画は明治神宮独力で行うものであることを理由に、反対勢力を退け、計画通りに進めることを確認した。
これらの過程で獅子奮迅の働きを見せたのが伊丹だった。
11月2日には伊達巽宮司による記者会見が行われ、報道陣に対して趣意書を手渡し、今回の計画に懸ける思いを説明する。文中にはこんな一文がある。
神宮球場と東京六大学野球連盟との特殊な関係は将来永く尊重せられ、そのシーズンの優先確保は今さら申すまでもありません。その余日は広く社会人野球、プロ野球等にも開放し、ナイター施設を十分活用し、その増収を計り、余剰金を生じたときは、球場の整備改装を行うとともに、学生野球の球場使用による負担の軽減をはかり、更に積極的援助をして学生野球の発展に寄与せんとするものであります。
プロ野球開催により利益を生み出し、それをもって学生野球の負担を減らすとともに、維持費、運営費とする。現在に続く収益モデルである。そして、この瞬間こそ、神宮球場とプロ野球との密接な関係の始まりだった。