好きな言葉は
消えてほしくない

田中 選考会で議論になったのは、この小説は主人公の一人称で書かれているわけですが、十代の女性の語彙としては不自然なんじゃないかということでした。睡眠薬の「紫苑色しおんいろ」とか、夜の街の「毳毳けばけばしさ」とか、さっき引用した〈嘲笑う釈迦が垂らした蜘蛛の糸〉とかもそう。そもそもヒヒルって、蛾の昔の表現でしょう。あえて難しい言葉を使ってやるぞ、みたいな意識があったのかなとも思ったんですけど。

樋口 読んだ作品から強い影響を受けるタイプなんです。僕は日本の近代文学が好きなんですが、「いいな」と思った言葉があると自分でも使いたくなってしまいます。

田中 それでいいんだよ。盗め盗め。じゃあ、そのあたりの文学をベースにして、不自然でもこの言葉で行ってやろう、みたいな感じだった?

樋口 主人公は十七歳の女性じゃないですか。十七歳の自分が考えられていることを、十七歳の主人公が考えていてもおかしくはないだろうと思ったんです。

田中 たくさんいるとは思うんだけれども、好きな作家は?

樋口 この作品を書くうえで意識していたのは、太宰治とか芥川龍之介とかですかね。中島敦、横光利一も好きです。

田中 十代で中島敦や横光利一とかから影響を受けた語彙というのは、可能性としてはそんなに一般的ではないけどね(笑)。ただ、小説ってそういうものを踏み越えちゃっていいものなので、それ自体に全く問題はない。

樋口 小説で今っぽさを出そうとして、無理して現代的な言葉を使うのはどうかなとは思っていました。それよりも、昔の作家が使っている言葉で自分の感覚にフィットしてきたものを使う方が、僕にとっては自然でした。それに、言葉って使わなくなっていくと、だんだん消えていってしまいますよね。例えば「いざる」(※座ったまま移動する)という言葉って、僕らの世代で使う人はほぼいない。「蕭蕭しょうしょう」(※もの寂しく感じられるさま)とか。

田中 「蕭蕭」、出てきましたね。〈雨が降ってる。蕭蕭と、雨が降ってる〉。

樋口 三好達治が使っているのを見て印象に残ったので。

田中 ほら、そこで三好達治とか出てくる(笑)。

樋口 僕にとっては好きな言葉だし、消えてほしくないんです。だから、自分の小説の中で使っているんだと思います。

田中 樋口さんは今、高校三年生。受験生ですよね。大学に入ってから書こうとは思わなかった?

樋口 日本の近代文学が好きで読んできたという話をしてきたんですが、現代小説だと綿矢(りさ)さんの『蹴りたい背中』の書き出しで衝撃を受けたんです。

田中 〈さびしさは鳴る。〉、僕も衝撃を受けましたよ。

樋口 綿矢さんについて調べたら、『インストール』でデビューしたのが十七歳、高校三年生の時だと知って、自分も高校三年生で賞を取れたら……と。

田中 ということは、どうせ落ちるだろうと思っていたと言っていたけど、ある程度の自信があったはずだな(笑)。大学では何を勉強するつもりですか。

樋口 本当は文学を猛烈にやりたいんですが、文学部に入るには国語とか英語が大事になってくるんです。自分は数学頼りで大学に行こうと思っていたので、かなり厳しくて。文学部は受験しない確率が高くて、今のところ法学部を考えています。三島由紀夫が法学部出身だと知って、自分もやってみようかなと。

田中 大変だよね、受験の最中にこんな騒動に自分で自分を巻き込んで。

樋口 これを書いた結果、成績がバカ下がったので、読んだり書いたりしている場合じゃないなって状況です(苦笑)。

田中 早く次の作品を書きたい気持ちもあるんじゃないですか。もう書いているのかな。

樋口 スマホのメモの中に、今回使っていない断片的な文章がまだたくさんあるんです。パッと目に留まった断片から連想を始めたり、部分部分を繫げたりして、短編が作れたらなとやっているところです。

田中 焦る必要はないからね。早く次の作品をって、出版社はそればっかり言うんだけど。大学に行ってない俺が偉そうに言えないけど、何かを集中的に勉強する時期であるとか環境とかは、すごく大事だと思うんですよ。大学に入ったら、まずは大学の勉強をちゃんとやってほしいですね。そのうえで、小説をたくさん読んで、それから自分の小説を書く。楽しみにしています。

樋口 ありがとうございます。まずは大学に合格できるよう、頑張ります(笑)。

泡の子
樋口六華
泡の子
2025年2月5日発売
1,760円(税込)
四六判変型/128ページ
ISBN: 978-4-08-771893-5

【21世紀生まれ初受賞/第48回すばる文学賞受賞作】

危険な小説だった。それでも、ここにある描写が好きだ。――田中慎弥氏(選評より)

新宿駅東口。退廃的で無秩序。
私はこの現実で、彼女のために何ができる?

歌舞伎町の『王』が捕まった時、七瀬は「あ」と言った。
私は、その幽かな叫び声を隣で聞いた。
ここはつまらない奴らばっかりがいる場所だけど、七瀬だけは違う。
だから、彼女の隣にいても息苦しさは感じなかった。
薬で強制的に引きずり込まれた夢の中にも、七瀬は現れる。
私は、彼女とこの場所に、まだしがみついているのかもしれない――。

これは、2007年生まれの若き著者が贈る、
終わってる世界で生きる「私たち」の物語。

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