システムの中で生きる「個人」の苦しさや淋しさを書く
2019年2月、JA対馬の職員で、“日本一の営業マン”として知られた西山義治 が、自ら運転する車ごと海に転落し、溺死した。享年44。遺書はなかったが、事故直後から自殺の噂が流れる。西山には22億円超の横領疑惑が持ち上がっていて、疑惑について職場から追及を受けるはずの日に、転落事故が起きたからだ。西山の死後、不正事件は彼一人の責任として片づけられる。しかしこれほど巨額の不正を、一人で働けるものなのか。そもそも人口約3万人の小さな島で、なぜ日本一の営業実績をあげられたのだろうか―。
第22回開高健ノンフィクション賞を受賞した窪田新之助さんの『対馬の海に沈む』は、西山の不可解な死を追いながら、JAの構造上の問題に切り込んでいきます。窪田さんの地を這 うような取材は、JAのみならず日本社会の暗部、そして人間の業をも抉えぐり出し、選考委員の加藤陽子氏は「ノンフィクションが人間の淋しさを描く器となれた、記念すべき作品」と評しました。
刊行にあたり、作家の塩田武士さんとの対談をお届けします。元新聞記者で、実際に起きた事件を基にした小説を書かれている塩田さんは、この作品をどのように読まれたのでしょうか。
構成=砂田明子/撮影=徳山喜行
衝撃的なつかみに
やられました
塩田 ご受賞、おめでとうございます。まず一言言わせてください、お見事です。
窪田 ありがとうございます。
塩田 第一に、構成が素晴らしいです。車ごと海に、ゆっくりと沈んでいく男の顔を見ている人の証言から始まる……この衝撃的なつかみにやられてしまいました。よほどのことがないと、こんな亡くなり方はしないはずです。いったい彼――西山に何が起きたのか。この作品全体が、ミステリーのような構成になっていますよね。つかみが強烈で、伏線が巧みに張られ、「何かあるぞ」と思わせる不穏な筆致で引っ張っていく。その先に、想像を超える結末をきっちり用意している。いわば人間が一番のミステリーなんだということが明かされるわけで、これは僕の小説にも通ずるテーマです。普通はフィクションでしかできないようなことを、ノンフィクションでやってしまっている、と思いました。
窪田 うれしいです。
塩田 内容に関して言えば、これほど多くの人を告発する書って、あまりないと思うんです。大変勇気の要ることです。関係者一人ひとりの証言を引き出すために、どれだけ歩き回って取材し、裁判などの資料を読み込み、そして考えられたのだろうと想像すると、フィクションの人間ですが僕も取材をするだけに、しびれました。
同時に、取材で得た情報だけを書いたノンフィクションは読まれないですよね。情報を作品に昇華できているかが問われるわけですが、本作は、非常に高いレベルでの作品化に成功していると思います。
窪田 当初は、ラストの内容を、早い段階で明かすような構成にしていたんです。そのほうが書きやすかったので。それではダメだと担当編集者に言われ、苦労して書き直しました。実は今もまだ改稿中で、もう20回近く、書き直しています。選考委員の堀川惠子さんが選評に書いてくださった「よりスケールの大きな作品にするため、出版までもっともっと苦しんでほしい」という𠮟咤激励を呪文のように唱えて頑張っています。
塩田 そうでしたか。「書き直し」と言われたときの絶望、これは僕もよくわかります。僕の編集者も容赦のない人ばかりなので。でも作品のことだけを考えて助言してくれる存在のおかげで、面白い作品が出来上がる。窪田さんのこの本も、構成を変えて大正解だったと思います。
ノルマは人を
数字に変えてしまう
窪田 私は大学卒業後、JAグループの「日本農業新聞」に就職し、その後フリーになって、日本の農業の仕組みの問題を追究してきました。前作の『農協の闇(くらやみ)』(講談社現代新書)を書いたときに、農協のシステムに苦しむ人がいることに気づいたんです。構造的な腐敗があり、厳しいノルマがある中で、しかし苦しまなかった人がいた。それがJA対馬の西山です。JAの共済(保険)事業の営業マンをLA(ライフアドバイザー)というのですが、LAとして日本一の実績を誇り、年収は4000万を超えることもあったという。人口約3万人の離島でなぜそれほど圧倒的な実績をあげられたのだろうか、という疑問が、取材の出発点でした。
それで彼の死後、現地に行くんですが、まず長崎地裁に行って裁判資料を読んでいると、義理の母親のことがけっこう出てくるんです。
塩田 ああ、第一生命のトップセールスレディーだった人ですね。
窪田 そうです。彼女が西山に営業の仕方を教え込んだと書いてあって、何か怪しいなと。で、対馬に行って実際にお会いしてみると、とんでもないオーラを持ってらっしゃる方で……。
塩田 彼女が車椅子で出てくると、周りはぴたっとしゃべるのを止める。あの場面、すごく印象的でした。
窪田 そうなんですよ。家族に何かあったのかな、というところから始まり、取材を進めると行く先々に興味深い方がいらっしゃる。気づいたらこの事件にどんどん入り込んでいたという感じですね。
日本農業新聞という組織で記者をし、その後独立した私は、システムと個人という対比をずっと考えてきました。長年、農協のシステムについて勉強してきて、この本でようやく、システムの中で生きる「個人」の苦しさや淋しさを書けたかなと思っています。
塩田 本当にそうですね。この本をどう読むかを考えたときに、大きく6つのポイントがあると思ったんです。第一に、最初にお話しした構成の魅力ですね。それからJAという組織やシステム、数字と金、不正の手口、西山義治という人間、そして、個人とシステムの崩壊について。
まずJAの構造的な問題があります。その一つがノルマで、自身や家族を必要以上の共済に加入させる「自爆営業」が日常的に起きていたと書かれている。ノルマというのは人を、数字に変えてしまうものです。人間性を奪い取って、人を単なるデータとして見てしまう。西山は職場で「西山軍団」を結成していましたが、死後、みんなすごく冷たいですよね。
窪田 そうなんです。
塩田 数字と金でつながる人間関係はそうなってしまうんですね。仕事というのは、やはり人と人でするものだと感じました。それから「LA甲子園」。全国の優秀なLAが都内のホテルに集められ、女優さんはじめ著名人が集まる華やかな会で表彰される。この仕組みも危ないと思いました。LAたちは個人にかかるノルマに加え、「地方」を背負わされるわけですよね。
窪田 そうなんです。システムが人間を、家族を、地域社会を狂わせていく恐ろしさは、この本で伝えたかったことの一つです。
塩田 周辺からお金を吸い上げて、一部の人だけが潤うJAのシステムって、今の日本社会の縮図のようにも感じます。