情報量の管理を意識することで、
歴史エンターテインメントの可能性を更新する。

歴史時代小説作家・今村翔吾さんの代表作であり、二〇二二年に第一六六回直木賞を受賞した『塞王の楯』が上下巻で文庫化された。漫画家の松井優征さんは、自身初挑戦となった歴史モノ『逃げ上手の若君』(「週刊少年ジャンプ」連載中)で今年一月、第六九回小学館漫画賞を受賞した。表現ジャンルは異なれど、歴史に材を採り魅力的な作品を生み出している二人が、この日初対面ながらも熱い創作談義を繰り広げた。

構成=吉田大助/撮影=露木聡子

『塞王の楯』今村翔吾×『逃げ上手の若君』松井優征「情報量の管理を意識することで、歴史エンタメの可能性を更新する」_1
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今村 子供の頃から「少年ジャンプ」が大好きで、松井さんの作品も『逃げ上手の若君』(二〇二一年~)や『暗殺教室』(二〇一二年~二〇一六年)はもちろん、デビュー作の『魔人探偵脳噛ネウロ』(二〇〇五年~二〇〇九年)から読んでいます。松井さんの仕事場にお邪魔してお話しさせてもらえるなんて、直木賞を取って良かった(笑)。

松井 僕は長い文章を読むのが苦手で、普段なかなか小説が読めないんですよ。でも、『塞王の楯』はめちゃめちゃ読みやすくて、少年漫画を読んでいるかのようでした。文章の設計がすごく漫画っぽいな、と。

今村 嬉しいです。僕は漫画が市民権を得た時代の歴史作家なので、漫画的な想像力が根っこに入っているというか、ビジュアルが先に浮かぶタイプなんですよね。字でそのビジュアルを表現するという感覚で書いているんです。

松井 見えましたね、めちゃめちゃ。いい文章かどうかを見分ける、僕なりの方法があるんですよ。文章が苦手な自分でも読めて面白いと感じたら、それは絶対にいい文章だ、と。文章に信頼感があると、『塞王の楯』みたいに分厚い本でもすらすら読めるんです。

――『塞王の楯』の舞台は安土桃山時代の末期、主人公の匡介は、近江国(滋賀県)を拠点とする石垣職人・穴太衆の石工です。師である飛田源斎は「天才」との呼び声が高く、当代随一を意味する「塞王」の異名を持っている。物語の序盤、師に向かって匡介が「俺は塞王になる」と宣言する場面は、非常に少年漫画的と言いますか……。

今村 『ONE PIECE』のルフィやん(「“海賊王”に!!! おれはなるっ!!!!」)って、いろんな人に言われました(笑)。

松井 あれは意識して書いたんですか?

今村 いやいや! 匡介が、あの場面で勝手に言い出したって感じなんですよ。自分ではほんまに意識してなくて、後で気付いて「恥ずっ。かぶってるやん!」となったぐらいです。

―― 匡介は架空のキャラクターですが、『逃げ上手の若君』の主人公は史実に残る人物です。南北朝時代初期に活躍した、北条時行。鎌倉幕府の後継として生きるはずだった少年・時行が、信濃国の神官・諏訪頼重に誘われて政権奪還を試みる。

今村 松井さんが歴史ものを手掛けたことにも驚きましたが、この時代を漫画にするというのが、もう……。

松井 自殺行為ですよね(笑)。ほとんどの人が興味のない時代ですから。大河ドラマだって、一回しかこの時代をやっていない(一九九一年放送の『太平記』)。たぶん日本国民の多くは、原始時代の次が平安時代で、次が戦国時代で、次が幕末だと思っている。それぐらい、他の時代に全く興味がないんです。出しゃばりかもしれないですけど、その隙間にも時代があるということを伝えたかったんですよね。生まれ育った国の歴史がプツッと途切れた状態でいるのは、ちょっともったいないなと思うんです。

今村 南北朝の禍根みたいなものが、今の時代にまで続いているわけですからね。うっすらでも知っとくべきだと僕も思います。

松井 時行を主人公に選んだ理由の一つは、時行は南北朝時代の美味しい転換部分すべてに立ち会っているので、他の主要キャラすべてに一回は触れられる。ストーリーテラーとして、これ以上のキャラはなかなかいないなと思ったんです。

自分が想像したことに
資料が寄ってくる

――『逃げ上手の若君』も『塞王の楯』も、日本の戦乱期が舞台の歴史ものと聞いてパッとイメージする「戦う」ではなく、「逃げる」「守る」という動詞を軸に据えています。これらの動詞に注目した理由をお伺いしたいです。

今村 僕はテーマを先に決めて、それに合う時代や舞台、題材を選ぶことがほとんどなんです。『塞王の楯』で言えば、戦争はなぜ起こるのか、戦争を終わらせるのが難しいのはなぜなのか。現代にも通ずるそのテーマを、攻める対守るの「矛盾」の関係から書いてみたいなと思ったんですね。その時に、これは嗅覚としか言いようがないんですが、自分が立つべきは「守る」の側だな、と。守りに特化した集団って、石工の穴太衆ぐらいしかいなかったんです。面白いことに、鉄砲作りに特化した国友衆という職人集団が、穴太衆と同じく近江国を本拠地にしているんですね。調べてみると、国友衆の大砲が確実に使われたと分かっているのって、大津城の戦い(※「愚将」京極高次が城主を務める近江国大津城を巡って行われた、関ヶ原の前哨戦)と関ヶ原の戦いだけだった。それで、大津城の戦いをメインに据えた話にしようとなっていったんです。

松井 僕の場合は、「自分が一個だけ歴史ものを書くとしたら何を選ぶ?」と。強いやつの話は書き尽くされているし、ほじくり返されている。なおかつ、戦って人を殺しまくってというのは、現代的な価値観にもあんまり合わないんですよね。時行は、例えば命令をいっぱい下したような文書も残ってないし、のちのち傘下に入る(北畠)顕家軍とかとも普通に仲よくやっているので、おそらく控えめな人間だったのかなと。そういうところから想像を膨らませていって、「逃げ上手」という設定に辿り着いたんです。それでも数人、最低限は本人の手で殺さざるを得ないんですけどね。殺さなくては生きていけなかった時代なので、そこも描きつつという感じです。

今村 二〇年前ぐらいだったら、もっと強いやつが求められていたかもしれませんよね。今の現代人の感覚にマッチしているなと思いました。『塞王の楯』でも、匡介は「守る」なんだけれども、もう一人の主人公と言える京極高次は「逃げる」なんですよ。本能寺の変が起きた時、城を捨てて逃げていますからね。死にたくないからとにかく逃げる。それに対して、昔は男らしくないとか批判がいっぱいあったと思うんですが、今の時代はむしろ共感のほうが大きいと思う。

―― 史実とフィクションのバランスについては、どのようにお考えでしたか?

松井 僕の場合、南北朝時代のことはほとんど資料が残っていないので、大部分が想像です。歴史監修で本郷(和人)先生に入っていただいているんですけれども、何を聞いても「そのあたりのことは分かっていないから適当に書けばいいんじゃない?」と返ってくるんですよ(笑)。逆に言えば、すごく自由なんです。

今村 僕は、人に会いに行きましたね。穴太衆は、資料が一切残っていないんです。紙に残さない一族なので。

松井 口伝なんですね。

今村 そうなんですよ。だから、現代に伝わっていることを何でもいいから教えてくださいと、一五代目の当主の方に話を聞きにいって。そうしたら、たまたま当代さんのおじいちゃんが、戦国時代以来の天才と呼ばれた人だったんですよ。用意した石を一個も余らせずに石垣を組んだそうなんですが、当代さんいわく、一個余らすのとゼロ個では雲泥の差がある、最初から完成形が見えているとしか思えない、と。

松井 小説にも出てきましたね。

今村 あとは、「天守閣に砲弾の穴が空いた」みたいな資料の一行から、想像を膨らませていく形です。資料が少ない方が自由にやりやすいのは、僕も同じですね。逆に、自分が勝手に想像したことに、資料が寄ってきてくれる時ってありません?

松井 ありますね! 歴史もの特有の醍醐味だなと感じます。

今村 『逃げ上手の若君』で言えば、「えっ、こいつとこいつも同い年やん!」みたいな。

松井 まさにそうです。南北朝時代って時行だけでなく、少年たちが活躍した時代なんですよ。「これ、少年漫画で描けるじゃん」って、主人公を決めた後で確信が芽生えたんです。

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