長年の思いが叶った、アートな奇書!

奥泉光さんの新刊『虚史のリズム』は、太平洋戦争敗戦後の占領期日本を舞台に、ミステリー、SFなどの要素もふんだんに取り込まれた、奥泉ワールドが全面展開された超巨編です。
本の仕立ても、A‌5判(本文、天地二一〇ミリ×左右一四八ミリ)、一一〇四ページ、背幅五〇ミリと、重厚感たっぷり。まずカバーのdadadaという文字が目に入ってきますが、本を開くとdadada……という文字がうねるようにのたうちまわっています。このユニークな文字設計を手がけたのは装丁家の川名潤さん。
内容的にも物量的にも規格外の本書について、誕生の背景をお二人に語っていただきました。

構成=増子信一/撮影=山口真由子

「長年の思いが叶った、アートな奇書!」奥泉 光×川名 潤『虚史のリズム』_1
すべての画像を見る

奥泉さんの熱ある
プレゼンから始まった

――後半、dadada……という文字群が奔流のように出てきてページを覆っていますが、これほどのスケールにしようというのは、執筆中から奥泉さんの構想にはあったのですか。

奥泉 最初にこの文字が出てくるのは、全体の三分の一を過ぎたあたりで主人公の一人である神島という元陸軍少尉が下宿の襖絵を見ているシーンです。絵の中に口を大きく開けている人物が描かれていて、その人物はあたかも母音の「a」を発話しているように見えた。でもよく見ると、それは「あ」や「ああ」ではなく、ドイツ語の「da――そこ」なんだと気づく。で、神島は「そこ」ってどこなんだという疑問をもつ。

 最初はそれだけのはずだったのですが、dadadadadadadadadadaという音が、いわば死者の放つ声として小説の中で独り歩きしていき、どんどんどんどんそのイメージが強くなっていったんです。

 雑誌掲載のときは単純にdadadaのフレーズを挿入するだけだったのが、川名さんと打ち合わせをしたとき、単行本ではdadada……が大蛇のようにうねったら面白いねって、ぼくがいったんですよね。

川名 作家の方が装丁の打ち合わせにいらっしゃることはたまにあるのですが、大体は編集者の隣でニコニコ頷いているという感じです。ところが奥泉さんは、dadada……についてまくし立てるようにプレゼンをされた。

奥泉 ぼくは装丁については基本的に口を出しません。こういう装丁ならいいな、というイメージはありますが、口でいってもなかなか伝わらずに、結局中途半端になってしまう。ですから、装丁は装丁家に全部任せることにしています。

 しかしdadadaについては装丁ではなく、本文に関することなのでつい熱く語ってしまった(笑)。

川名 奥泉さんからこういうことがやりたいというプレゼンを受けたのですが、あの打ち合わせのときには本文を最後まで読み終えていなくて、本が放つ空気みたいなものがまだ見えていなかったんです。それでも奥泉さんの熱量だけは伝わってきました。

 dadadaといえば「ダダイズム」がすぐ思い浮かびますが、その打ち合わせの中でもダダイズムの話も出てきました。実際ダダイズムのアーティストたちは、タイポグラフィーで詩をつくるというコンクリート・ポエトリー(具体詩)という視覚的な詩の試みをやっていますから、多分dadadaという文字を使ってそういうことをやるんだろうなという感じで話を聞いていました。

奥泉 ただダダイズムの時代と違って、今はタイポグラフィーでの遊びをやろうと思えばいくらでもできますよね。たとえば、円城塔さんの『文字渦』なども文字の角度をいろいろ変えてみたり、スティーヴ・エリクソンの『エクスタシーの湖』も斬新な本文レイアウトが試みられている。

川名 現在の組版技術なら、本当にやろうと思えばいくらでもやれますからね。

奥泉 でも、なんでもかんでも自由というのはかえって不自由だから、川名さんが御自分である条件を設定して、その制約の中でやったと伺いました。

川名 ええ。この小説の舞台である戦後すぐの時期の活版印刷の組版技術でもできる範囲内でやろうと思いました。きちんとした升目に沿ってテキストが流れていて、そのページの中でテキストが配置される場所が決まっている。そういうルールの中で絵を描いていく感じですね。いってみればアスキーアート(文字や記号を用いて描く絵)なのですが、アスキーアートをしながらdadadaをどこにどう入れていくかは、ある程度任せていただきました。

奥泉 最初にここには是非入れてほしいとメモを渡しましたけどね。

川名 dadadaメモですね。

奥泉 ぶっちゃけていうと、テキストとしての強度がいまひとつ足らない、かといって手直しは難しい箇所があって、よし、ここはdadadaで補強してもらおうというところもありました(笑)。