長女は「あちゅい」という言葉を残して…
痛ましい事故という表現が陳腐に思えるほど、凄絶な光景だった。東名高速道路の路上、トラックに追突された車体後部が燃え盛っている。窓から脱出した被害者の井上郁美氏は妊娠していて、お腹が大きい。同じく被害者で夫の井上保孝氏はこのとき、3度の緊急手術が必要なほどの重度の火傷を負っていた。
偶然収められていたこれらの映像は、事故直後にさまざまなニュース番組で取り上げられたため、記憶する人も多いだろう。
後部座席に座っていた3歳7カ月の長女と1歳11カ月の次女。長女は「あちゅい」という言葉を残して焼死した。
井上夫妻は事故後、保孝氏の仮退院を経て、比較的すぐにメディアに出ていた。当時のことをこう振り返る。
「自分たちの体験を人前で話したのは、大阪府で行われた『あすの会』(全国犯罪被害者の会)が最初だったと記憶しています。時間は15分ほどだったでしょうか。2000年6月に出された加害者の懲役4年という一審判決を受けて、当時の気持ちを述べました」(郁美氏)
事件当時、飲酒運転はもちろん違法だったが、すべての交通事故は業務上過失致死傷罪(刑法211条)で裁かれていた。本罪は懲役5年を上限とするもの(または本罪の法定刑は懲役5年)で、一審判決は加害者の家族が社会復帰を待ち望むことなどを理由として懲役4年とした。
「加害者は事故の日だけではなく、日常的に飲酒運転をしていたことが裁判で明らかになっています。事故前日の夜にフェリー内で700mL入りウイスキーひと瓶の約6割を飲み、当日昼にはサービスエリアで缶入り焼酎飲料を飲み、それだけでは飲み足らずウイスキーの残りも全部飲み干しています。
これだけ悪質な事故でしたから、私たちは業務上過失致死傷罪の上限である懲役5年は確実と思っていましたが、4年の判決でした。
正直、なんの罪もない子ども2人の命を奪っておいて懲役5年という軽さであることすら理解に苦しむのに、その8掛けという判断に閉口せざるを得ませんでした。理不尽さに怒るとともに、社会に対してそうした現実を伝えていきたいと思うようになりました」(郁美氏)
裁判を通してなにが見えてきたのか。保孝氏は、「実はほとんどわからなかった」と当時を振り返る。
「私も、『なぜこんなことになったのだろう』という思いが強く、背景がなかなかわからないことにもどかしさを感じました。
裁判の傍聴席から見る加害者はずっと後ろ姿で、被告人質問の際もボソボソと話すだけです。どんな人で、なぜ事故は起きたのか、私たちが知りたいことはなにもわからなかったんです。よく被害者は加害者を恨むものだと思われますが、どんな人間なのか全然わからない以上、憎しみをぶつける対象にすらならないというのが正直なところです」(保孝氏)
結局、加害者とまともに対峙したのは2004年2月11日。出所した加害者が井上夫妻のもとを訪れたときだ。
「裁判中に拘置所から手紙は届いていましたが、謝罪の定型文のようなもので、あまり当人の人柄がわかるものではありませんでした。加害者が常習的に飲酒運転をしていたことを考えると、会社や家族がなにも対処しなかったこと、彼らの不作為が浮き彫りになって、ますます日本の社会や文化全体の問題だと思うようになりました」(保孝氏)