早稲田大学での授業を一度も受けることなく…
等身大の人型パネルに、故人が履いていた靴が添えられている。赤のフェルトで製作されたハートがそのパネルの肩口あたりにそっと灯る。パネルの近くには、腰をかがめ、故人の人生についての記述を熱心に読む人がいる。
この人型パネルはメッセンジャーと呼ばれ、今生きている人たちに故人のメッセージを伝える役割を担う――生命のメッセージ展での光景だ。
「生命のメッセージ展」は全国にある各種学校や自治体施設、ときには刑事施設や少年院などあらゆる場所で現在も行われている。
鈴木共子氏は2000年に息子の零くんを亡くした。加害者は飲酒運転に加え免許もなく、車検も切れていたという。事故現場は橋の上だったため、零くんは20メートル近く下のコンクリート土手に叩きつけられ絶命した。
鈴木氏は当時をこう振り返る。
「零は憧れだった早稲田大学へ入学したばかりでした。夜遅く、友人とともに我が家へ向かうところを、パトカーから追いかけられて逃げようとする加害者の車両にはねられ2人とも亡くなりました。あれほど楽しみにしていた早稲田大学での授業を一度も受けることなく、死んでしまったのです。
私は突然の出来事に衝撃を受け、『なぜ息子がこんな目に遭わなければならなかったのか』という悲しさや苦しさに翻弄される日々が続きました」(鈴木共子氏、以下同)
鈴木氏をさらなる絶望へ叩き落としたのは、刑事裁判における量刑相場だった。
「法律に無知な私は、加害者が何十年も刑務所に入るだろうと信じていました。しかし当時は、どんなに危険な運転によって起きた事故であっても業務上過失致死罪で裁かれ、最高刑は5年でした。生命に無関係な横領罪や詐欺罪の最高刑が10年であることと比較して、理不尽であると感じました」
事件から2カ月後、鈴木さんは「悪質ドライバーに対する量刑見直し」の署名活動を始める。
「それまでは、『交通事故は事故だから仕方がない』と泣き寝入りに等しい状況がありました。しかし全国の交通事故遺族とともに立ち上がり、地道に署名活動を続けたことで、現在の危険運転致死傷罪の新設に繋がりました」
もっとも、危険運転致死傷罪は万能ではないと鈴木さんは指摘する。
「危険運転致死傷罪を適用するためにはかなり厳格な立証をしなければならず、不便な側面があります。せっかく法律があっても適用できなくては意味を持ちませんので、私たちはこれからも飲酒運転を『他人事ではない』と思ってもらうために活動を続けていく必要があります」