「苦しいから殺してちょうだい」
第3回公判に行われた被告人質問で、前原被告は事件の端緒をこう答えた。
「母から『苦しいから楽にしてちょうだい』と言われました」
前原被告によると、かねて身内が亡くなるたびに母から「入院はやだよ。家に連れて帰ってきてちょうだいね」などと伝えられていたという。
被告人質問で、前原被告は24時間つきっきりの介護の実態を、一日の流れを説明するように話した。
起床は午前5時前。食事の用意をして、母親を起こしてすぐに血糖値の測定をして、その後に1時間ほどかけて朝食を食べさせる。
インスリン注射をして、午前8時からは訪問看護の入浴時間となるが、休むひまはない。入浴中も、タオルを用意したりと介助をしなければならないのだ。
その後、昼食を作り食べさせ、母親は昼寝の時間になる。その間も、日用品や食品の買い出しに出るなどして、戻ってきてからは、夕食を作り、また食事の介助をする。
排泄物の廃棄などをしたのち、母親の日課であるアイスクリームを食べさせて、午後7時ころに母は就寝。前原被告は、午後10時ごろに床に就くという。
そんな生活は、母親の一言で変わった。
事件直前の22年8月には、前原被告が記憶している限りで、母親から複数回、殺害を依頼されたという。
事件の26日前の8月2日、夕食の支度をしていたときに、母親から突然《つらいよ、殺してちょうだい》と言われたと振り返る。
くしくも、この日は前原被告の誕生日。小さなケーキを2人で分けあって食べただけあって、鮮明に覚えていると話した。
8月17日にも、夕食の支度中に、いきなり母親から《つらいから殺してちょうだい》と言われたという。前原被告は、うなずくこともせず、聞き流した。
しかし、25日は違ったのだ。
母親が日課で好物のアイスクリームを食べていたとき、《つらいよ、楽にしてちょうだい》と言われ、前原被告は《一緒に死のう》と返事してしまったのだ。そうしたところ母親は、
《ありがとうね》
と一言返したという。
そして、犯行当日の28日。母が就寝する午後7時までは、いつもと変わらない日常を過ごした。
「普段の日に事件を起こすと、(訪問看護のときに)女性スタッフの方だけなので、29日は男性スタッフの方もいるので発見されやすいほうがいいかな、と考えました」
ただ、ひとつ違うのは母親に精神安定剤を飲ませたこと。のちに前原被告は、
「私が母を殺すときに、苦しまないで済むように飲ませた」
と供述している。
前原被告は母親が寝たことを確認すると、部屋の押し入れから黄色のひもを取り出した。だが、殺害するのを躊躇してしまい、一度自分の部屋に戻ったという。
「母を殺してしまうんだ、とそう思いながら(自分の部屋で)座っていました」
躊躇をしたのか、15分くらい部屋にこもっていたという。しかし、再度、母親の部屋に行き、ひもで首を絞めてしまった。
「私は、(母親の)口の前に手を置いて、呼吸を確認しました。きれいな格好をしていないと可哀想だと思い、パジャマを直してあげました」
母親の部屋の前には、「警察へ連絡してください」と書いた紙を貼った。
その後、前原被告は自分の部屋に戻って、自殺する準備を始めたという。
以前、医師から処方されていた睡眠薬や精神安定剤など約180錠をどんぶりの中に入れ、缶チューハイと一緒に飲み込んだ。
徐々に眠くはなり、一時は意識を失ったものの、発見後の入院先の病院で意識を取り戻した。