厳しくも愛をもって育ててくれた両親
「アイドルを目指したのは出来心なんですよ!」
アイドルデビュー当時を振り返り「目立つのが好きだったから、挑戦してみたかった」と話す村重。
山口県玖珂郡で生まれた彼女は、4人兄妹の長女として育った。母親の村重ヤナさんはロシア人で、当時は娘の芸能界入りを反対していたのだそう。
「ママは破天荒なところもあるけど、性根は安定志向な人。うちは両親とも大学に行っていなかったから、ママは私をどうしても大学に行かせたがっていました。
だから小学校の時は勉強漬けでしたよ。公文も6年間通ってたもん(笑)。サボると怒られるし、厳しく育てられたと思いますね」
しかし、村重本人はアイドルへの憧れを捨てきれず、父とともになんとか母・ヤナさんを説得してオーディションに参加。
念願のHKT48に選抜されるも、アイドルとして活動していた十数年の間には、アイドル活動を辞めたいと思ったこともあったという。
「アイドル時代は活動が思うようにいかなかったこともあり、反抗期には両親に何度も“もう辞めたい”と伝えました。
だけどパパとママからは、芸能活動を始めた時から一貫して“一度始めたなら中途半端にするな”と言われ続けました」
両親は口癖のように、村重に『自分でやると決めたことを簡単に辞めたら、ロクな大人にならない』と言って聞かせてきたのだとか。
「少しでも応援してくれる人がいる限り、あきらめることは許さないと言われていました。
パパから背負投げをされるほどのケンカもして、家出だってしました。1時間で帰ってくるけど(笑)。
ケンカしても最後にパパが、“杏奈は世界で一番可愛いんだから”と言ってくれるんです。
その言葉がなかったら、今の私はいなかったと思う。私にいつか子どもができたら、両親と同じように子どもに教えたいって思います」