バラエティでは見せない、弟妹の前での「長女」としての素顔

村重にとって、HKT48としてのデビューは決して華々しいものではなかった。

劇場での活動が中心で、本家グループの“神セブン”たちのようなメディア露出の機会には恵まれなかったからだ。

アイドルデビュー時は母からの厳しい反対にあうも、父とともに説得。

10代前半で単身で福岡に引っ越した時には、祖父母が費用を負担してくれたという。

ロシア人と日本人の間に生まれた子どもで、地元ではいちばん可愛いという自負があったという村重だが、家族の支えを持ってしても、心が折れそうな時期もあったようだ。

辛かったことはなかったかと聞くと、

「アイドル時代、仕事がなかった私にパパとママはいつも “可愛い”と伝えてくれました。
むしろハーフであることに誇りを持ってましたよ。ママの遺伝子のおかげで私はかわいくいられる! 誰に何を言われたとしても、私は私だと胸を張るべきだと思ってましたね。

それと6歳まではロシアに住んでたので、ハーフであることに違和感は全然ありませんでした」

と明るく話す。

そんな彼女は4兄妹の長女として育った。バラエティでは“おバカキャラ”としてブレイクしたが、家族の中では下の弟妹にかっこいい姿を見せようと、気丈に振る舞っていた部分もあるようだ。

「アイドルを辞めさせてくれなかったのは、パパやママの中では妹たちのためって部分もあったと思うんです。
お姉ちゃんの私が甘い行動を許されたら、妹たちもそれでいいんだって思っちゃう。

あの頃はなんで私ばっかりとか思っていたけど、今はあの厳しさに助けられた部分もあるとも思っているんです」

長女ということもあってより厳しく育ててもらえたと語る彼女は、東京で妹と一緒に暮らした時期もあったと思い返す。

「東京での生活に妹が慣れていない頃だったので、私もできる限りの家事を担当してました。妹のお気に入りは、私が作るだし巻き卵。ママと同じ味がするみたいなんですよね」

両親が自分を応援してくれたように、妹の芸能活動を応援したいと語る村重の表情は、バラエティで見る姿よりも頼もしく、優しげだ。「お姉ちゃん」として凛とした振る舞いを見せていることが伺える。