常に成績上位も、母のヒステリックに苦しむ日々

「私が中学受験することは、母が私を妊娠した瞬間に決まっていました」(舞さん、以下同)

こう語る舞さんは、会社員の父親と専業主婦の母親のもと、東海地方で生まれ育った。教育熱心だった母親は、妊娠中から舞さんの行く中学を決めていた。

「母は、地元で一番の私立中学に行ってほしいという強い思いを持っていました。妊娠中から『A中学に行こうね』と、おなかの中の私に繰り返し話しかけていたそうです」

A中学は、舞さんの地元で最も偏差値が高いとされる私立中学だ。母親がこの学校にこだわったのには理由があった。

「母の両親は『女に教育はいらない』という考えで、母が行きたかった高校や大学に進学させてもらえませんでした。両親を恨んでいるという話を何度も聞かされました」

一方で、母親の兄は地元の私立中学に進学している。母親は「自分の娘には同じ思いをさせたくない」「兄よりもいい中学に進ませたい」という願いを強く抱いていた。

母親は自分が果たせなかった夢を舞さんに託し、舞さんはその夢に向かって着実に歩んだ。

「小さい頃から勉強が大好きでした。小1から公文に通って、公文の問題を解くのが楽しくて、朝、一人で起きて問題を解くほどでした。公文は、実際の学年を超えて先に進めるシステムなのですが、私は5学年先まで進みました。教室の先生に『これ以上進めていいのかわからないから、ここで一回止めようか』と言われたこともあります」

趣味は勉強と読書。舞さんは小1の頃から宇宙や星に関する本を次々と読み漁った。

「母親に『大きくなったら天文学者になりたい』と言ったら、『A中学に行ったらなれるよ』と言われました。A中学に天文学のカリキュラムはなかったので、母の誘導です。でも、その言葉を信じて、1年生の頃から『私はA中学に絶対に行く』と決めていました」

舞さんは5年生で大手の受験塾に入塾。6年生ではさらに地元で評判の個人塾にも入り、2つの塾を掛け持ちした。勉強漬けの毎日で、模試では常にトップの成績をキープしていた。

自主的に勉強をし、成績もすこぶる良い。それでも舞さんの母親は、毎日ヒステリックに怒っていた。

「少しでも休もうとすると『なんで休んでるの!?』『まだがんばれる!!』『A中学に落ちても知らないからね!』と怒鳴られました」

幼少期から地元の難関中学を目指していた舞さん(写真/本人提供、以下同)
幼少期から地元の難関中学を目指していた舞さん(写真/本人提供、以下同)