日本一のご当地ラーメン店主の素顔
昨年は山形県の「酒田ラーメン」が日本一を勝ち取り、今年は福島県の「白河ラーメン」ということで、札幌や博多という強豪を抑えて東北が連覇という形になった。
今回、白河ラーメンで出店したのは「火風鼎」(かふうてい)というお店だ。1980年創業の老舗で、店主の小白井邦夫(こしらい・くにお)さんが一代でその地位を築き上げてきた。
油分が少なく鶏、豚の旨味溢れるスープに、パワフルな手打ち麺が特徴。表面にざらつきがあって主張の強い麺で、他では食べることのできない食感。まさに唯一無二の国宝級の麺である。イベントでもお店そのままのクオリティの1杯を提供し、多くのお客さんの心を打ち、悲願の日本一を獲得した。
店主はどんな人物なのだろうか。
「火風鼎」店主の小白井邦夫さんは1950年に白河で生まれ、実家は靴屋を経営していた。邦夫さんが幼い頃、このエリアにはラーメン店はまだ2~3軒しかなく、ラーメンはごちそうだったという。
白河で最も古いといわれるラーメン店「茶釜食堂」が創業したのが1940年代で、まだ白河にラーメン文化が根付く前の時代である。邦夫さんは小学生の頃からラーメンが大好きで、高校時代には北海道に味噌ラーメンというものができたと知り、白河から自転車で食べに行ったそうだ。
その後、東京・上野にあったテレビ技術の専門学校に通い、パソコンやプログラムを学んでいたが、白河に戻り、ボウリング場で仕事をしていた。結婚後、奥さんの実家のお土産寿司を販売している寿司店で働き始めた。そこで3年間働いたものの、お店の経営に限界を感じていたという。
「ある日、お店の常連さんでラーメン屋を営んでいる人がいて、そのお店の仕込みを見せてもらうことになったんです。朝5時から仕込みをしていて、それを5日間見せてもらいました。そのとき初めて製麺用の小麦粉を触らせてもらって、それがラーメン作りとの出会いでしたね」(邦夫さん)
昔からラーメンが好きだし、自分でもやってみたいと立ち上がり、その1年後、1980年に「火風鼎」をオープンした。座敷席もある立派なお店で、1杯350円のラーメンが1日30杯ほど出た。近所に出前もしていたという。
しかし、駐車場もない不便な場所だったことや、知識がないまま始めたこともあり、味が安定せずに2年半で閉店することになる。
閉店後、白河駅前の場所に移転して再びお店をオープン。カウンター6席のみの小さなお店で、出前も続けた。狭いお店だったが、立地がよく、1日3万円の売り上げになった。移転前の3倍の売り上げだった。