みんな生きることを疑っている。
そのうえで、なんとかして生きる希望を見つけてほしい
これぞ、人間六度! 第9回(2021年度)ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作『スター・シェイカー』でデビューした気鋭が、初となる短編集『推しはまだ生きているか』を刊行する。SFマインドとエンターテインメント性を共存させながら、「生活」の感覚を重視したという全5編は、名刺がわりの一冊にして、現時点での最高傑作に仕上がっている。
聞き手・構成=吉田大助
撮影=大槻志穂
―― デビュー作の『スター・シェイカー』は人類がテレポート能力に目覚めた世界の物語でしたが、最新刊『推しはまだ生きているか』は、同作以来となるドSFです。全5編はいずれも、世界そのものを創造するSFマインドが炸裂していますね。
自由に書いていいです、SFにこだわらなくていいですと編集さんに言われたことが逆に、僕の中にあるSF的な想像力を加速させてしまったんだと思います(笑)。自由に書いていいならば、僕はこっちの方向に進むんだな、と。短編だった、というのも大きかったと思うんです。この間、ようやくデビュー版元に二作目の長編の原稿を渡したところなんですが、長編となると肩に力が入ってしまうんですよね。少ない枚数のものであれば、まず伝えたいことやテーマ性を固めて、それに沿った世界やキャラクター作りをしていけば勢いで書けるし、作品世界全体を隅々までチェックすることが比較的容易にできる。編集さんとの相性も良くてというか、ノリが近くて、次は何を書くかが毎回爆速で決まっていったんです。今までで一番楽しい仕事でした。
―― 第一編「サステナート314」は、恒星間航行移民船の内部に作られた居住区画が舞台です。着想の出発点は?
もともとは「都市を読む」という特集に載せる短編を書いてほしい、という依頼でした。当時、SDGsについていろいろと思うところがあったんですよね。昔はエコという言葉があって、今SDGsという言葉が流行っていますけど、そういう縛りを作らなければ人間はやり過ぎてしまうことを、自分たちでよく分かっているんですよね。社会はどこかで、自分たちを抑制する力を働かせなければというプレッシャーに常に駆られている。それは仕方ないことだと思うんですが、抑制や監視が行き過ぎていると感じることもある。後者の視点に立って考えてみた時に、「持続の都市」「持続を強制されている都市」というイメージがパッと浮かんでいました。
―― 宇宙船内にできた都市は、SDGsで言うところのサステナブル(持続可能)な世界が実現していて、物質の全てが循環・再利用されている。そこから逃れたいという親友と、親友の遺体を循環・再利用されたくないという主人公の動機付けには納得感がありました。
テーマからの逆算で、設定を固めていきました。どうして持続が強制されているかといったら、宇宙船みたいな閉鎖空間の中に生きているからじゃないか。閉鎖された環境の中ではモッタイナイ精神が極限まで達していて、死すらも資源の循環の中にのまれていく。そこから逃れたい、親友を弔 いたいと思っている女の子がいて……と。個人的に、百合っぽい話を書いてみたいというのもありました。
―― 世界設定の細やかさも魅力的でしたが、世界そのものに仕掛けられた大きな謎には驚かされました。
世界の秘密を知っている存在を探す、アクセスする、というのはSFの一つの型ですよね。それを、自分なりにどう描くか。お話の型であるとかモチーフは既存のものを使うんだけれども、自分の中にオリジナリティの閾値 みたいなものがあって、それを超えていなければいくら書こうとしても何も書けないんです。
SFとエモの二軸が人間六度らしさ
―― 初出を確認すると、次に執筆されたのは三編目の「完全努力主義社会」ですね。生まれた瞬間にさまざまなデータから七十五段階の期待値(できて当然のライン)が算出され、期待値からいかに努力で運命を切り開いたかを示す「努力係数」によって個人の所得が決まる。つまり、努力すればするほど報われる世界が舞台に選ばれています。
一編目の「サステナート314」の流れを受けて、それ以降も実験都市、実験社会をテーマとするのはどうかな、と。我々が生きるこの現実は結果主義の世界ですが、タイトルどおり「完全努力主義」になった世界ではどうなるか、そこで生じる倒錯を描きたかった。今までの作品とは違うアプローチで、闘病の話を書きたかったという思いもありました。僕は今29歳なんですが、大学浪人中の18歳の頃から数年間、白血病で入院していたんです。車椅子で生活をしていた19歳、20歳の頃は、しゃがんだ状態から自力で立てない、屈伸運動ができないくらい痩せてしまって。筋肉を付けるためにリハビリをしていたんですが、本当にきつかったんですよ。親がお金を払って僕はリハビリを受けているんですが、このキツさはお金をもらう側なんじゃないかと思ったほどです。その経験から、リハビリの模様を動画配信して稼ぐ、「自己介抱師」という職業を思いつきました。
―― 異星人との人類存亡を懸けた戦いに挑んでいる19歳のメルトと、病院で車椅子生活を送りながら「自己介抱師」として働く24歳のノア。SFではお馴染みと言える「世界の終わり」のボーイ・ミーツ・ガール、ですよね。
大枠は『All You Need Is Kill』(桜坂洋)です(笑)。他にも、いわゆるセカイ系と呼ばれる作品を意識していましたが、例えば「世界の終わり」をもたらそうとしている異星人との戦いは、僕はサラッとしか書いていません。ちゃんと書き始めたら、その世界で生きている人たちの生活の部分が書けなくなってしまうからです。今まで紡がれてきた大きな物語の片隅で起こっていたような出来事、主人公たちの生活のことを、できるだけ丁寧に書きたい。そうすることで、今までにない作品になるのではと思いました。
―― 最終戦争というSF的な大きな物語の中に、生活を積極的に取り入れていこうとしたからこそ、あのラストシーンの二人のやり取りが生まれた?
明確に意識したわけではなかったんですが、そうだったんだと思います。ワンチャンで勝つかもしれないという希望を残しつつも、ほぼ死ぬことが確定している戦いに向かっていくメルトに対して、ノアが何ができるかな、と。相手がやばい状況に立ち向かうのであれば、僕だってそれくらいのことはするぞと、自分にはできないことを「できる」と言うことではなむけにする、というイメージがあったんです。
―― ノアは何を「できる」と言ったのか。最終戦争とそれとのギャップが、最高にエモかったです。
そう言っていただけると嬉しいです。人間六度らしさは今のところ、SFとエモの二つが軸かなと思っているので……エモって、自分で言うのはだいぶ恥ずいんですけど(苦笑)。