2024年 本屋大賞 翻訳小説部門 第1位
『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』
休めない社会だからこそ、
休む人たちの物語を描きたいと思った
昨年9月に刊行された『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』(訳=牧野美加)は2024年の本屋大賞翻訳小説部門第1位に輝き、ロングセラーを続けています。
小説の舞台はソウル市内の住宅街にできた「ヒュナム洞書店」。会社を辞めた30代の女性、ヨンジュが立ち上げた、コーヒーの飲める小さな書店です。そこに集まってくるのは、就活に失敗したバリスタ、夫の愚痴が止まらないコーヒー豆焙煎業者、身じろぎもせず座っている女性客、無気力な男子高校生、ネットでブログが炎上した作家……。平凡な日常生活を送りながらも、それぞれに悩みを抱えた人たちがヒュナム洞書店で一息つき、会話をし、本を読み、人と本とゆるやかに連帯し、自分自身に出会い直していきます。
ファン・ボルムさんの初の長編小説となるこの作品は、韓国では最初、電子書籍として出版されました。その後、瞬く間に人気を博して紙の書籍も刊行され、ベストセラーに。そして日本でもたくさんの読者の心をつかんでいます。今年4月、本屋大賞発表会のために来日したファン・ボルムさんに、お話を伺いました。
通訳=延智美/聞き手・構成=砂田明子/撮影=露木聡子
走り続けて疲れて……、私自身が休みたかった
――本屋大賞の受賞、おめでとうございます。本屋大賞は全国の書店員が「いちばん! 売りたい本」を投票で選ぶ賞です。受賞の感想を聞かせてください。
受賞の報せは、2月ごろ、韓国の出版社の代表から、電話で聞きました。私はもともと物事にあまり驚くタイプではないのですが、そのときは「えっ!」と大きな声を上げてしまったんです。普段は淡々と生活しているのに、その後1か月くらいはウキウキしながら生活していました。
この本を書くにあたり、小さな書店の店主たちが書いたエッセイをたくさん読みました。でも、私自身は書店で働いたことはありません。ですから、書店を舞台にしたこの小説を、実際に書店で働く方がどう思うだろうかと、心配していたんです。幸い韓国でも好評をいただき、日本では書店員の方々が選ぶ賞をいただけて、とてもうれしく思っています。
――小説を書いてみよう、と思いついたとき、書店の名前の最初の文字を「休」にしよう、店主はヨンジュで、バリスタはミンジュン。この三つのアイデアだけをもとに、最初の文章を書き始めたと、あとがきの「作家のことば」にあります。なぜ「休」が出てきたのでしょうか。
休みたいという気持ちが私自身にあったからです。作家になりたくて、30歳を超えたころから、自分なりにトレーニングを積んできました。一日数時間、毎日書く生活を3、4年間続けて、最初のエッセイ集を出版することはできたのですが、その後うまくいかず、走り続けているうちに疲れてしまったのです。それでも何か書きたいという気持ちはあって、では、休む物語を書いてみようと。
私に限ったことではなく、韓国社会全体が、走り続けているように感じます。休まずひたすら走り続ける。これは人間にとって不可能なことであるはずなのに、皆が競うように走っています。また、自分の意思で、あるいは外から与えられた理由によって休まざるをえない状況になったとしても、心から休めない人が多いです。だから私はこの小説で、休む人たちを描きたいと思いました。
――主人公のヨンジュは、会社を辞め、離婚をし、母親との関係に問題を抱えています。そんななかで自分が自分を大切にできる場として書店を開き、人が集まる場所へと育てていきます。思慮深さと行動力、弱さと強さ、そしてユーモアがまざりあったキャラクターが魅力的です。どのように作り上げていきましたか。
物語の始めにヨンジュが泣いているシーンを描いたので、過去につらい経験をしたことがわかります。でも、私が書きながら考えていたのは、つらい経験を、シリアスに受け止めるだけの人物にはしたくないということでした。キャラクターそのものは、明るくユーモラスにしたいなと。人にはさまざまな面があります。気持ちが沈んでいるにもかかわらず冗談を言うような、泣きながら笑顔を見せるような、ヨンジュをそんなキャラクターにしたいと思いました。具体的にイメージしたのは、こんな人がそばにいたら、絶対友だちになりたいな、と思うような人です。
――ファン・ボルムさんをヨンジュに重ねて読む読者が多いように感じますが。
「ヒュナム洞書店のような書店をオープンしたい気持ちはありますか?」と、よく韓国で聞かれるんです。そう聞いてくださる方は、私のなかにヨンジュを見ていると思うのですが、「私は決してヨンジュになれないので、ヒュナム洞書店のような書店は開けません」とお伝えしています。