キースはなぜ無実になったのか?
保釈金を積んで釈放になったものの、パスポートを取り上げられてホテルに拘束状態のキース。懲役の可能性もあり、弁護士たちは2〜5年は喰らうだろうと悲観した。
他のメンバーたちは、身の危険を感じてカナダを脱出。そんな孤独な状況下で、キースはプライベートなレコーディングを行う。これが伝説の“トロント・セッション”だ。
ジョージ・ジョーンズの『Say It's Not You』、タミー・ウィネットの『Apartment Number 9』、ジェリー・リー・ルイスの『She Still Comes Around』、そしてデビュー前に刑務所に収監された経験があるマール・ハガードの『Sing Me Back Home』──。
ここで聴けるキースの哀しみの歌声は心を打つ。吹き込んだのは、ドラッグで命を落とした親友、グラム・パーソンズから教わった物悲しいカントリー・ナンバーばかりだった。
この夜、絶望の淵に立った音楽を愛する男は、この世にいない友に対して何を想ったのだろう。
1978年10月23日。長い裁判の末、ようやく判決の日が来た。
当初からキースが金欲しさに麻薬を売ることなどあり得ない笑い話だったが、判事は薬物浄化の治療に専念することと、目の見えない人たちのためにコンサートを開くことを条件に、ロックスターを投獄しないことを告げる。
「これは目の見えない少女リタのおかげなんだ。彼女はストーンズを追いかけてあらゆる会場にヒッチハイクで駆けつけてくれていた。俺はあの娘が安全に車が拾えたり、食事ができるよう手を打ったんだ。俺が逮捕された時、リタは苦労して判事の家に辿り着いてこの話をしてくれた。俺の天使、リタ」
これを機にドラッグから距離を置くようになったと言われるキースは、この頃リリースされたストーンズの『Before They Make Me Run』(アルバム『Some Girls』収録)でこんなことを歌っている。それは“やつら”との闘いに別れを告げるための、心の叫びだった。
言うべきことを言って やるべきことをやったら
まだ余力があるうちに動き出せ
やつらに走らされる前に 自分で歩き出すんだ
文/中野充浩 サムネイル/Shutterstock
参考・引用/キース・リチャーズ自伝『ライフ』(棚橋志行訳/楓書店)、『キース・リチャーズ 彼こそローリング・ストーンズ』(バーバラ・シャロン著/CBSソニー出版)