デビューが決まっても複雑だったストーンズ
1963年6月7日に発売されたローリング・ストーンズのデビュー・シングル『カム・オン』は、彼らのアイドルの一人、チャック・ベリーのカヴァーだった。この曲に選んだのはバンドではなく、マネージャーのアンドリュー・ルーグ・オールダムである。
同年3月にロンドンのクラブで、R&Bを演奏していたストーンズを見たアンドリューは、すぐに楽屋に行ってマネージャーをやりたいと申し出た。
前年10月にデビューしたビートルズのスタッフとして、パブリシストを担当していたアンドリューはまだ19歳だったが、口が達者でメディアの利用にかけては天才的なものを持っていた。
アンドリューは出逢ってすぐにストーンズのメンバーたちをスタジオに連れて行くと、キャッチーだと判断した『カム・オン』をレコーディングする。そしてそのテープを聴かせて大手レコード会社のデッカとの契約を取り付けると、5月には正式にバンドのマネージャーに就任した。
だが、『カム・オン』がデビュー曲に決まっても、ストーンズのメンバーはやや複雑な気持ちだった。キース・リチャーズがこんな回想をしている。
「あれはただレコード用にプレイした曲だ。二度と聴きたいとは思わないね。アンドリューのアイデアだった。強力なシングルを放てば会社はアルバムを出してくれるだろうってね。当時アルバムを出すのは、限られた人間だけに与えられる名誉だったのさ」
R&Bとブルースに心粋する音楽マニアのストーンズではあったが、メンバーたちはレコードを出すことも、ロンドン以外で演奏することも、現実問題としてまだ考えたことがなかった。
大学生だったミック・ジャガーが政府から奨学金をもらい、そのお金でブライアン・ジョーンズとキース・リチャーズが一緒に住んでいたアパートの家賃を払っていたのだ。キースはこんな感想も述べている。
「最初のシングルを出したときの、あの後悔と落胆が入り混じった何とも言えない気持ち、あれはいまだによく覚えているなぁ。と言うのも、当時のパターンとしてはレコード1枚出したら最後、それからきっかり2年で必ずバンドは寿命を迎えたものだったんだ。当時はレコードを出すってことが凄まじい意味を持っていたんだよ」
アンドリューはストーンズをビートルズのような人気者にすべく、マネージャーとして全力を尽くした。ラジオやテレビへの出演のほか、メンバーのアイドルの一人だったボ・ディドリーのオープニング・アクトの仕事も取ってきた。
しかし、『カム・オン』は期待したほどには、ヒットチャートを上昇しなかった。発売から3か月が過ぎた1963年9月には何とか21位まできていたが、勢いが止まってそれ以上期待はできなかった。
ちょうどその時1位に躍り出たのが、ビートルズの『シー・ラブズ・ユー』だった。前週1位の座にいたビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスの『バッド・トゥ・ミー』もまた、ビートルズのレノン&マッカートニーが提供した作品だった。