27歳年上の夫との出会いがおにぎり作りのきっかけ
子どもの頃からおにぎりが大好きだったという由美子さん。お手本にしているのは、実家の母が握るおにぎりだったと振り返る。
「運動会や遠足など特別な日に母がおにぎりを持たせてくれました。うちは貧しかったのでおにぎりに梅干ししか入っていませんでしたが、海苔は1枚ちゃんと巻いてくれていました。
私にとってのご馳走は、母の思いが詰まったおにぎりなんです。『ぼんご』のおにぎりは、母のおにぎりのように、ただ楽しく、おいしく食べられたらいいかなと思っています」
そんな女将が作る「ぼんご」のおにぎりは握らないのが特徴だ。型に米を入れ、具材を詰めた上から、さらに米を重ねる。塩をすばやく指につけ、手のひらにまぶして海苔で巻く。
米と具材を慈しむように海苔が包み込む。出来上がったおにぎりは、程よい空気感と柔らさがあって食べやすい。まさに母の愛情を感じる一品だ。
店名を打楽器の一種、ボンゴに由来する「ぼんご」と名づけたのはバンドマンだった先代、右近佑さん。由美子さんの亡き夫だ。
「主人は地元の東京・池袋で姉と2人で『ぼんご』という名前のバーをやっていたのですが、主人はお酒が飲めないので、老若男女に愛される食べ物を出したいと思って新たにおにぎり専門店を始めました。
昭和35年当時はおにぎり専門店なんてほとんどなかったそうですよ」
おにぎりは、居酒屋で締めに食べるお茶漬けと同等の扱いだった。浅草「宿六」が、「ぼんご」より1年早く「おにぎり専門店」を開店していたという。
当時、おにぎりは1個30円。「チキンラーメン」が一袋35円で販売されていた時代で、決して、安い値段ではなかった。
そんな「ぼんご」と女将が運命の出会いを果たす。新潟から上京後、友人と来店して先代と知り合った。
「私は田舎から出てきて食料難民状態。そんなときに友達に『ぼんご』に連れて行ってもらったのが最初です。
こんな美味しい食べ物があるんだって思って、それから通いつめました。いつのまにか主人から『結婚してくれ』と言われて(笑)。私が24歳の時で、夫は27歳も年上。父親と同い年でした」