Aさんの死と引き換えに百条委が実現
Aさんは3月12日、斎藤知事のパワハラやタカリのほか、側近と行なった公金不正支出や選挙への不当な公務員動員など計7項目の疑惑を書いた告発文書をメディア関係者ら10人に送った。
斎藤知事の説明などによれば、知事は3月20日に文書の存在を把握すると、片山安孝副知事(7月末に辞任)や井ノ本知明総務部長(総務部付)ら側近に対応を指示。
メールの送信記録の解析からAさんに目星をつけた片山氏らが、3月25日にAさんから公用パソコンを取り上げたうえ、告発文書を書いたとの供述を確保した。
そして県は2日後の3月27日にはAさんを西播磨県民局長から解任し、同月末に予定されていた定年退職を認めない決定を出した。
Aさんは文書を書いたことは認めながらも、内容が虚偽とは認めず、精査するよう片山氏らに求めていた。
しかし、解任と同じ3月27日、斎藤知事は記者会見で「(Aさんが)ありもしないことを縷々(るる)並べたような内容をですね、作ったっていうことを、本人も認めてますから」と、事実と違うことをまくしたて、「嘘八百」「公務員失格」とAさんの人格を貶めた。
Aさんは県条例に基づく公益通報者としての保護を求め、4月4日に手続きを取るが、この結果が出る前の5月7日、県はAさんに停職3ヶ月の懲戒処分を出す。
「それだけではありません。問題が拡大し百条委が設置される過程では、片山副知事が『自分が辞めるから百条委設置だけはこらえてくれ』と県議会最大会派の自民党に泣きついたり、Aさんのパソコンから抜き出した私的なデータを井ノ本総務部長が県議に見せて回ってAさんが信用できない人物だという印象を振りまいたりしました。
知事選で斎藤氏を推した維新の県議は、私的なデータも全部公開しろと主張していました」(地元記者)
こうした中でAさんは7月7日に自ら命を絶つ。「一死をもって抗議する」「百条委を最後までやり通してほしい」と書いた遺書を残して。百条委は、Aさんの公務員人生と命とを引き換えに実現したと言っていい。
8月30日、その百条委に斎藤知事が証人として初めて出席し、まずパワハラ疑惑に絞って質疑があった。
百条委が約9700人の全県職員相手に行なったアンケートでは、少なくとも1750人が知事のパワハラを見聞きしたと回答し、具体例も多く挙げられた。これらの指摘が事実かどうか聞かれた斎藤知事は「記憶にない」を連発。
被害者の県幹部自身が「怒鳴られた。理不尽な叱責を受けたと思っている」と百条委で証言するなどし、言い逃れできなくなった3回の傍若無人な行為だけは「当時の認識としてはやむを得なかったが不快な思いをした人がいたら申し訳ない」などと言動の一部を認めた。
だが、「パワハラと認めないのか」との問いには「私ではなく百条委などが判定すること」と繰り返し、認めることはなかった。(#12)