祖父は有力者、幼少期は物静かで模範的な子どもだった
1977年生まれの斎藤知事は、地元神戸市須磨区の公立小学校に通っていた。東大からキャリア官僚になっただけに、当時から勉強ができることでは評判だった。小学校時代の同級生の母親が40年近く昔を振り返る。
「斎藤くんはとにかく模範的な生徒さんでしたわ。やんちゃな元気のいいグループとはちょっと距離感ある感じ。息子から聞いてたのは『とにかくあいつは賢いやつだわ』って話でしたね。近所でも、神童ではないですけどそんな感じに見られてましたわ。物静かで、先生の言うこともよく聞くおとなしい子やったみたいです。
お母さんも物静かで、お父さんも物腰柔らかい感じの人でした。しつけはしっかりしてたん思いますが、そのやり方も叩いたりとか人格否定みたいなことではないでしょうから」
斎藤少年がほかの子と違ったのは、祖父が地元の有力者だったことだ。本人の公式ウェブサイトで「長田区と須磨区でケミカルシューズ製造業を営んでおりました」と紹介する祖父は、神戸の地場産業、ケミカルシューズの業界団体トップに1971年に就任した人物。「ベルトコンベアーを導入した作業工程の機械化を進め、ケミカルシューズ業界をけん引し、大きくした立役者です」と地元記者は話す。
小学校時代の同級生の母親も「おじいちゃんが手広く商売やってはって斎藤君はおじいちゃん子だったって話は聞いたことありますわ」と回想。祖父は幼少期から斎藤少年にとって大きな存在だったようだ。
そんな斎藤知事は、中学と高校の6年間を実家を離れた愛媛県松山市の進学校で過ごす。阪神淡路大震災が襲った時の神戸にはいなかったことになる。