「僕はドーム球場でやる高校野球を少し観てみたい」

中村 聞いてみたいですよね。球数の問題もそうだし、甲子園以外の球場でやることをどう思うかということもそうだし。

早見 選手たちは暑い甲子園でやりたいと思うんだけどな。それに憧れて高校野球を始めた選手が大半なんですから。

1998年夏のPL学園と横浜の延長17回が今のようにタイブレーク制で延長10回で終わっていたら、きっとスーパースターのうち誰かは出てきてないと思うんですよね。それは大谷翔平君かもしれないし、藤浪晋太郎君だったかもしれない。

2006年夏、早実の斎藤佑樹君と駒大苫小牧の田中将大君が投げ合った延長・再試合が仮に札幌ドームでやっていたらどうですかね。誰かは出てきてないという気がします。

僕は高校野球の正体は「憧れの再生産」だと思っています。なのに今、大人たちは「選手のため」という大義名分のもと、その憧れを奪おうとしているようにも見える。

もちろん選手たちの健康を守るという絶対的な条件は必要ですが、同じように憧れを奪うこともしてはいけない。100年後の高校野球のことも考えなければいけないと思うんです。

酷暑のため、近年は試合途中で体調不良となる選手も増加傾向に(写真/共同通信社)
酷暑のため、近年は試合途中で体調不良となる選手も増加傾向に(写真/共同通信社)

中村 でも僕はドーム球場でやる高校野球を少し観てみたい気もしているんです。どうなるんだろう、と。

早見 それは丸刈りに対して違和感を覚えていなかったときも、そう思っていましたか。

中村 そういう思いはあったかもしれませんね。おそらく僕は早見さんほど甲子園に近づけた経験がないので、そこまで憧れが強くなりようがないんですよ。そこは大きな差だと思うんです。

早見 たしかにドーム球場で、ベストコンディションでゲームをすることにも意味はあると思います。ただ、少なくとも高校時代の僕らは、周囲の大人たちが訳知り顔で「ドームでやろう」みたいなことを言い出したら、「部外者は引っ込んでろよ!」って言っていたと思います。

だってドームに憧れたことなんてないですもん。僕らは全国大会に出たかったわけじゃなくて、甲子園に出たかったわけですから。

中村 早見さんがコロナ禍の星稜と済美の野球部を描いたノンフィクション作品『あの夏の正解』の中にもそのシーンがありましたけど、2020年の夏の大会がなくなって、その年の春、選抜大会に出場することになっていた高校が1試合ずつ甲子園で試合ができることになったじゃないですか。

選抜も中止に追い込まれ、彼らは甲子園で試合ができなかったので。そのとき、優勝がかかってない試合になんの意味があるのかと思ったら、ほとんどの高校が大喜びしていたじゃないですか。明徳義塾の馬淵史郎監督も、あんなに甲子園に出ているのにすごく喜んでいて。「今日は焼き肉パーティーや!」って。