父親が家に連れてきたスーパースターたち

カーは2021年にアメリカ代表のHCに就任している。

NBAファンの方なら、ウォリアーズのHCとして4度の優勝を成し遂げた名将であることを知っているだろう。

オールドファンの方なら、シカゴ・ブルズ時代、マイケル・ジョーダンとチームメイトだったこと。1997年、ユタ・ジャズとのNBAファイナル第6戦で、ジョーダンからパスを受け、優勝を決定づけるシュートを沈めた名シューターであったことも覚えているかもしれない。

アメリカ代表合宿会場で再会した、スティーブ・カーと松井啓十郎。写真/松井啓十郎
アメリカ代表合宿会場で再会した、スティーブ・カーと松井啓十郎。写真/松井啓十郎

僕がカーに初めて会ったのは10歳のときだった。カーに関する最も古い記憶は、沿道に敷いたビニールシートに座り、阿波おどりを観覧する姿だ。

カーとの出会いと関係を説明するには、ドリームチームが世界を席巻した1992年に遡る必要がある。

あの夏、世界で何万人がジョーダンのスーパープレーに憧れただろう。6歳だった僕も、その中のひとりだった。ジョーダンのハイライトシーンをVHSのビデオテープが擦り切れるくらい繰り返し見た。そして思った。

「NBA選手になりたい」

そんな果てしない夢を実現するために父親と一緒に逆算した。

当時、NBA選手になる唯一の方法はドラフトされること。そして、ドラフト候補に名を連ねるためにはアメリカの大学で活躍する必要がある。僕はNBAを目指し、まずはアメリカの大学でプレーするための道を探した。

画像/Shutterstock
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今のようにインターネットで、世界中の様々な情報が即座に入手出来る時代ではない。どうにかアメリカへのきっかけを掴もうと試行錯誤を重ねる日々だった。

バルセロナから4年後の1996年、チャンスが訪れる。

当時、ブルズでプレーしていたカーとその友人であり同じくNBA選手のショーン・エリオットと日本でバスケットボールクリニックを開催することを知り、僕はそのクリニックに参加した。

牧歌的な時代だったのか、僕の父親が強引だったのか、クリニック後、カーとエリオットが僕の自宅に来ることになった。

実家は東京・高円寺。朝早くビニールシートで場所を確保しておいた。ふたりのNBA選手が、そこに座り阿波おどりを観覧する姿は、今思い出してもどこか微笑ましい。

そして、ふたりのクリニックをきっかけに、僕のバスケットキャリアは好転していった。