反応があっての犯罪
同じ銃の所持なのに、なぜある国では重い犯罪とされ、別の国では権利とされるのだろうか。また、同じ不倫なのに、なぜある時代においては犯罪とされ、別の時代では刑事法上問題でなくなるのだろう? 銃の所持そのものが国により違うのだろうか。あるいは、不倫行為自体が時代により変わったのだろうか。答えは「ノー」である。
犯罪と言うと、まずある種の行為を考えがちであるが、実は、犯罪というものは、少なくとも二つの要素から成り立っている。
一つは人間の行ったある種の行為であり、もう一つはその行為に対する社会や国家のある種の反応である。行為があっても、それを犯罪とする社会や国家の反応がなければ、犯罪としては成立しない。
犯罪は、あくまでも行為と反応の統一体なのである。この反応が、空間(国や社会)と時間(時代や時期)により大きく変わるのである。
銃の所持が、ある国では犯罪とされるのに、他の国において権利とされるのは、行為そのものが国により違うのではなく、それを犯罪とするかどうかという反応が国により異なるからである。
同様に、不倫が重い犯罪とされる時代もあれば、刑事法上全く問題にならない時代もあるのは、不倫行為自体が時代の変化により変わったのではなく、不倫に対する社会や国家の捉え方が変わったからである。
*1 団藤重光『刑法綱要各論』第3版、創文社、1990年、331頁。
*2 川西政明『文士と姦通』集英社新害、2003年、19頁
*3 林弘正「法学新報」「姦通罪についての法制史的一考察(2)」第106巻第9・10号中央大学法学会、2000年、185頁。
*4 上村貞美『性的自由と法』成文堂、2004年、130頁。
*5 趙乗志主編『刑法修改研究総述』中国人民公安大学出版社、1990年、387頁。
文/王雲海
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