頭の半分がなくなった遺体

死刑に関する比較の本を書いたことのある私は、「死刑廃止論者ですか」とよく聞かれる。

そのときはいつも、「基本的には死刑廃止論者である。また、そうでなければならないとも思っている」という、外交辞令のような答え方をする。

筆者が死刑に直接関わりを持ったのは、中国で人民陪審員を務めていたときと、大学3年時に実習として死刑を最も多く扱う中級人民法院に配置されていたときである。

「今日執行されるよ」と告げられた元共産党の地方幹部だった死刑囚が「命だけは助けて下さい。人民のために、党のために何でもします」と土下座して哀願する様子、「執行される」という言葉を聞いた途端、尿も便も禁じ得なくなり泥のような体と化した殺人犯の死刑囚、涙を零しながら「今からあの世へ行くから、両親のことを頼む」と見送りに来た妹に話しかける女性の死刑囚、「明日の朝あの世で会おうぜ」と隣の死刑囚に声をかけて最後まで強がりを見せようとするものの、無念さが青白い顔に凍り付いている若者の死刑囚などを見た数時間後に、銃の音と共に脳みそが血と交じりながら飛び散り、頭の半分がなくなった遺体を目の当たりにすると、言葉でうまく表現できないような、一種の「変で妙な感じ」がする。

一方で、「こんなひどい目に遭うことを知っているのになぜ罪を犯したのか」という、一種の憎悪感でもあるようで、でもないような感覚がどこかから軽く浮かんで来る。

他方では、「数秒前までは自分と変わらない人間を、こんなにめちゃくちゃにしてよいのか、別の方法はないのか」という、一種の不憫感でもあるようで、でもないような心情がどこかから濃く漂って来る。

中国の銃殺刑の現場に立ち会って死刑制度の是非を考えた…人間は誰しも死刑存置論者、死刑廃止論者両方になりうる存在である_1
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筆者が小学生のころ、中国はちょうど文化大革命という政治運動の最中で、階級闘争として「公開逮捕大会」や「公開判決言い渡し大会」があちこちで行われていた。会議がある度に、犯罪者が大勢の公衆の前で手錠をかけられ、刑を言い渡され、会場も物々しい雰囲気で、銃を構えている警察や兵士が講壇などの目立った場所に立っていたりした。

このような風景に、幼い筆者も大変な恐怖を覚えていた。恐怖のあまりに少しの賢さも出て、「支配されるほうや、やられるほうよりも、支配するほうや、やるほうに絶対になろう」と思うようになった。

筆者が、権力者そのものである裁判官になろうと志して、大学で権力と密接な関係のある法学部を選んだのは、まさに「支配する側」になるためであった。