世間からバッシングを受け、姿を消した丸山明宏

シャンソン歌手である美輪明宏(当時は丸山明宏)は、1957年にデビュー・シングル『メケ・メケ』をヒットさせてスターになった。さらに作家の三島由紀夫が「天上界の美」と絶賛したこともあって、一躍マスコミの寵児となった。

だが、同性愛者であることを隠さなかったために、まだ理解の薄かった世間からバッシングを受け、その後はマスコミからも締め出されて、一旦は忘れられた状態になってしまう。

しかし、ここからが本当の始まりだった。

1963年秋、東京・大手町のサンケイホールで開催された、全曲自作自演で構成した『丸山明宏リサイタル』で見事にカムバックを飾ると、1965年には『ヨイトマケの唄』をヒットさせて完全復活したのだ。

1971年までは本名の「丸山明宏」名義で活動をしていた美輪明宏。その妖艶な魅力で数々の著名人を虜に。写真は2021年11月17日発売の『ヨイトマケの唄』(KING RECORDS)のジャケット
1971年までは本名の「丸山明宏」名義で活動をしていた美輪明宏。その妖艶な魅力で数々の著名人を虜に。写真は2021年11月17日発売の『ヨイトマケの唄』(KING RECORDS)のジャケット
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実は『ヨイトマケの唄』を作った当時は、すぐに人前で歌うことはなかったという。

しばらく経って、自宅で開いたささやかな誕生日パーティーの場で、初めて弾き語りした。すると、集まっていた親しい友人たちは口々にこう言った。

「どうして今まで歌わなかったの? こんないい歌もっといろんな所で歌って、大勢の人達に聴かせてあげなきゃ駄目じゃないの!」

言われた通りにシャンソン喫茶で披露した。冒頭の田舎っぽい掛け声に、観客はコミックソングと思って笑い出した。

ところが歌い進めるうちに、人々の表情は変わっていき、最後にもう一度、冒頭と同じ掛け声をくり返した時には、笑いとは反対に涙に変わっていた。

その後、丸山明宏は、寺山修司が手がけたアングラ芝居『青森県のせむし男』や『毛皮のマリー』に出演するなど、歳月をかけて表現の領域を広げながら成長していった。

寺山修司が美輪明宏のために書いた伝説的名作『毛皮のマリー』。写真は、2011年5月15日発売のDVD『毛皮のマリー』(パルコ)。この作品は1967年の初演以来、はじめて実現した美輪明宏演出のものだ
寺山修司が美輪明宏のために書いた伝説的名作『毛皮のマリー』。写真は、2011年5月15日発売のDVD『毛皮のマリー』(パルコ)。この作品は1967年の初演以来、はじめて実現した美輪明宏演出のものだ

そして1968年4月からは三島由紀夫のたっての願いで、渋谷・東横劇場の『黒蜥蜴』に女形として主演することになった。

大ホールの1か月公演ともなれば、たくさんのスタッフが関わるので準備期間は長くなる。しばらくの間、活動の主軸を音楽から演劇に移さなければならないと考えたのは、表現者としての自分を追求して磨き上げていく機会だと、冷静に判断したからだ。

そこで歌手として区切りをつけるために、1968年2月に『第八回 丸山明宏リサイタル』を開催した。