リサイタルで完成の域に達した『ヨイトマケの唄』
全面的に協力した音楽監督の中村八大が編曲と指揮を引き受け、東京交響楽団、東京混声合唱団、中村八大クインテットら総勢百人をバックにした、大がかりなステージとなった。
リサイタルのパートナーとして5年間共に歩んできた中村八大は、パンフレットにこんな文章を寄稿していた。
〈僕は天才が好きだ。何でもない事、オヤと思う事なんでも、天才はそれらを本当に意味のある真実に作り変えて行く事が出来るのだ。天才歌手──丸山明宏の為に、僕の持つ出来る限りの音楽性を彼の為に提供する事に、僕は音楽家としての非常な喜びを感じている。〉
リサイタルのオープニングは、意表をついて中村八大の『ブラジル組曲』から始まった。そのダイナミックな器楽曲が終わって訪れた静寂から突然、けたたましく不気味な丸山明宏の笑い声が聞こえて、そのまま二曲目の『悪魔』へとなだれ込んでいく。
その曲が終わると今度は冷静さを取り戻して、次の曲名を『愛のボレロ』と感情を込めずに紹介すると、麗しい声で切々と恋心を歌い上げる。その歌と演奏が終わったところで観客席から大きな拍手が起こった。
丸山明宏は次の曲名を『ヨイトマケの唄』とだけ紹介する。一呼吸おいてア・カペラで歌い出す。
「エンヤコーラ」
掛け声の終わりにはティンパニーが打ち鳴らされて、そこから管楽器のオーケストラが入ってきて演奏が始まる。すると、そこに太くて力強い歌声が響いてくる。
ここまで来て、しばらくピアノと歌だけになる。丸山明宏の歌声と結城久のピアノは、長いコンビだけあって完璧に呼吸が合っている。それは歌を届ける丸山明宏の心に、一切の邪念がないからだった。
その歌声から伝わる物語が、聴き手の心にある純真な感情をゆさぶって共鳴するのだ。このリサイタルでの丸山明宏の歌唱と表現力、中村八大のアレンジとオーケストラの演奏は、いずれも非の打ち所のない、完璧ともいえる出来栄えだった。
少しずつ理解者を増やしながら成長してきた丸山明宏の『ヨイトマケの唄』は、区切りとなる記念すべきコンサートで、いよいよ完成の域に達したのである。
歌の発売から47年が経った2012年12月31日。美輪明宏は、『ヨイトマケの唄』で、第63回NHK紅白歌合戦に初出場した。77歳での初出場は史上最年長。デビュー60年での初出場も史上最長記録であった。(注)
(注)『ヨイトマケの唄』がヒットした1966年、紅白出演のオファーがあったが、歌唱時間の問題で辞退している。当時の紅白は歌手1人につき3分以内という時間制限があり、6分近くある『ヨイトマケの唄』は大幅に歌詞を省略して歌うことをNHKから求められたが、美輪は「歌詞の省略はできない」と頑なに主張し、辞退せざるを得なかった。
普段の金髪や派手な衣装を封印し、かつてのショーボーイ的な落ち着いた風貌で歌唱した。その絶唱は全国で大反響を呼び、視聴率は異例の45.4%にまで達した。
「歌だけで勝負できる。余計な照明などは、何もいらないと言ったんです」
文/佐藤剛 編集/TAP the POP
サムネイル/左:2006年12月6日発売『美輪明宏リサイタル“愛”(1) 日本の心を唄う ’91秋パルコ劇場』(KING RECORDS)、右:2013年10月23日発売『ヨイトマケの唄+ふるさとの空の下に』(KING RECORDS)
引用元・参考文献:『紫の履歴書』(美輪明宏著/水書坊)