三島由紀夫、遠藤周作が見に通った美貌の青年・美輪明宏

敗戦後の復興期にあった1951年、東京・銀座に開店したデラックス・キャバレーの『銀巴里』は、当時としては眩いほどに豪華な内装のダンスホールだった。

1955年から昼はシャンソン喫茶としても営業するようになった『銀巴里』で、一人の美貌の青年が専属歌手として歌うようになった。まだ10代だった青年はこの頃は本名の「丸山臣吾」を名乗り、続いて「丸山明宏」となった。今の「美輪明宏」である。

1971年までは本名の「丸山明宏」名義で活動をしていた美輪明宏。その妖艶な魅力で数々の著名人を虜に。写真は2021年11月17日発売の『ヨイトマケの唄』(KING RECORDS)のジャケット
1971年までは本名の「丸山明宏」名義で活動をしていた美輪明宏。その妖艶な魅力で数々の著名人を虜に。写真は2021年11月17日発売の『ヨイトマケの唄』(KING RECORDS)のジャケット
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ユニセックスなファッションを身にまとった丸山青年は、まもなく店で最も人気を集める存在になった。シャンソンのファンばかりでなく、アンテナ感度の鋭い若者をはじめ、人気ジャズミュージシャンの中村八大、有名作家の三島由紀夫、吉行淳之介、遠藤周作、俳優の仲代達矢や西村晃などが通って来た。

やがて男でもなく女でもなく、妖しいまでの魅力を振りまきながら歌う丸山明宏は、創刊ラッシュが続いた週刊誌のコラムや新聞記事にも取り上げられた。「シスターボーイ」という新語とともにマスコミを賑わせて、スターになっていくのは1957年の年明けからである。三島由紀夫は「天上界の美」と絶賛した。