事件の捜査に関わった人たちの名簿を上から順に全員あたりました

━━映画ではさらに踏み込んで、元鑑識官が登場します。最初の調書にもとづき、一階から見た現場写真を撮っていたという。それがなぜか、裁判では「二階」になっていた。変更を問われた鑑識官は、どうしてなのか自分にはわからないという主旨のことを話されている。よく、この証言を得られましたね。

あれは、事件の捜査に関わった人たちの名簿を上から順に全員あたりました。

「この事件について冤罪の可能性が指摘されています。私は判断がつかないので、話を聞かせてほしい」というスタンスで、捜査員、住民にも聞いていった中で、答えてもらえました。

ただ、あの鑑識の方の証言場面は音声だけを使い、映像は本人が特定されないようにしてあります。

━━退職されているにしても、警察の捜査手法に疑問を抱かせることだけに、よく話を取れたものだと驚きました。

じつは捜査員の人たちは、それぞれ全体の捜査のある一部分を担当していただけで、事件全体の中でどうつながっているのか理解していなかったということもあって。

あの鑑識の方も、自分が撮った写真がどれほどの重要性をもつものか理解できておらず、質問にフラットに答えてもらえたのだと思います。

二村真弘監督
二村真弘監督

━━退職後に「個人」として応じたということですか?

おそらくそうだろうと思います。事件から20数年経っているので、退職し現場を離れた今だから話せることもあるかもしれないという希望をもって、方々にアプローチしました。

というのも、この事件に関しては事件の概要、捜査員全員の名前と役割を記した内部資料が作成されていて。つまり、そういう記念誌とも言える文書を作るほどに自分たちの仕事に誇りに思っていたのではないかと思われる。

であれば、冤罪の可能性を問うても「いや、そうじゃないんだ。あれは……」と話してくれる人が出てくるだろう。そういう期待もありました。

━━しかし結果的に映画に登場する捜査側の証言者は、あの人だけだった?

ほかの人は、電話でこちらが当てたことに「それはわからないね」と返されるか、上の許可がないと話せないというのが大半でした。