「お前ら、テレビをなめてんのか?」
1988年9月30日、当日は「昭和63年秋オリンピックと日本人」というテーマで本番を始めた。出演者は大島渚、野坂昭如、西部邁、猪瀬直樹、舛添要一、石川好、野村秋介らだ。彼らには前もって事情は伝えた。タブー中のタブーだけに人選はよりすぐった。
オリンピックをメインテーマにし、かつての金メダリストたちも呼び、彼らとソウルで開催中(9月17日〜10月2日)のオリンピックの話をし、タイミングを見て強引にテーマを変えた。
「今晩はどうしても論じたいテーマがあります。日本について語る時絶対に避けられないテーマ、天皇です。天皇はいまご病気で厳しい自粛ムードですが、だからこそ、あえて天皇について語り合いたい」
そこでメダリストたちが退場して、先ほどのメンバーに入れ替えた。さすがの僕も緊張していた。後から聞くと、声がかすれていたそうだ。
討論メンバー総入れ替えで議論を始めたのはいいが、どうも盛り上がらない。パネリストたちには事前に了解を得ていたはずだが、さすがの百戦錬磨の彼らにしても、天皇というテーマは重かった。
何か皇居の外側をぐるぐる回っているような、天皇を遠巻きにした議論が続いた。僕にも焦りがあった。いつものように歯切れよく議論を挑発できない。何か金縛りにあっているような感じがあった。
コマーシャルの時間になった。いつものように「ここでCMを入れます」と議論を打ちきったものの、この休憩時間にどう議論を立て直すか、さすがの僕も頭を抱えた。
その時、プロデューサーの日下の立ち回りがすごかった。スタジオに降りてきて、僕らに言い放った。
「あなた方がぜひやるべきだと天皇論をやることになったんでしょう。互いに覚悟を決めていたんじゃないんですか。なぜ遠巻きの議論しかできないんですか」
僕の記憶にはないが、「お前ら、テレビをなめてんのか?」とのセリフも出たらしい。
それが効いたのだろう。その後、僕らは少しずつ自信を取り戻し、タブーに斬り込んでいった。
実は、前明石市長の泉房穂は、当時「朝生」のスタッフだったのだが、この時の緊張と興奮をいまでも覚えているそうだ。
そもそも天皇制とは何か。制度論その他、議論を深めていき、企図していた戦争責任論については最後の1時間で駆け抜けるようにやった。もちろん、不完全燃焼の部分も多かった。だから僕は最後に視聴者に向かって約束した。必ずもう1回やります、とね。