「上を向いて歩こう、涙がこぼれないように」という歌詞になった理由
六・八コンビのソングライティングには、特別の取り決めがあった。永六輔がこう語っている。
「普段僕らが使っている言葉だけで歌詞を作ろうということが一つ。歌の世界には、話し言葉とは違った語法がまかり通っている。それを僕らは使わないんです」
確かに『上を向いて歩こう』は口語体で、物語の設定やシチュエーションについての具体的説明がない。
どんな理由で涙がこぼれるのか、どうしてひとりぼっちなのかさえ、何も手掛かりはない。主人公が男なのか女なのか、若いのか年配なのかも想像できない。
1960年6月15日。国会議事堂の構内で安保反対運動の先頭に立つ全学連のデモ隊と機動隊が衝突し、混乱の中で東大生の樺美智子さんの命が奪われるという悲劇が起きた。
安保条約改定は自民党の単独採決によって衆議院で可決され、参議院は議決なしで自然承認となった。
永六輔は民主主義の危機を感じて行動していた若者たちや、二度と戦争が起きないようにという気持ちで参加していた女性たちの姿を目の当たりにして、いてもたってもいられずに人気番組の仕事を迷いもなく降板し、積極的に運動に関わっていた。
だから樺美智子さんの悲劇も、安全保障条約の自然承認も、大きな挫折体験以外の何ものでもなかった。
さらには10月12日。永六輔が慕っていた社会党委員長の浅沼稲次郎が、TVとラジオの中継が入った演説会の壇上で、17歳の右翼少年に刺殺されるという事件が起きた。
「60年安保挫折に追い打ちを掛けるように浅沼委員長は亡くなった。そんな辛い気分をホッとさせてくれたのが長女の誕生。僕は父親になった」
一つの時代が終わると、次の時代が始まる。世の中は夢や理想の追求から、現実の生活における利益追求へと、転向を余儀なくされた。
翌年の春、人類は初めての有人宇宙飛行に成功。ソ連の宇宙飛行士ガガーリンは、「地球は青かった」と伝えた。
同じ頃、中村八大から夏に開催するリサイタルに向けて、永六輔は「歩く歌」を書いてほしいと依頼された。
そこでかつての自らの胸の内を託すかのように、「上を向いて歩こう、涙がこぼれないように」と言葉を連ねた。