「もう『上を向いて歩こう』は僕だけの歌じゃない」
こうして六・八コンビによって完成した『上を向いて歩こう』は、当初から独特のフィーリングを持つティーン・アイドル、坂本九を歌手として想定したものだった。
時代の息吹を表現できる若さ、溢れるビート感こそがこの曲に必要だと、中村八大は確信していたのだ。
坂本九が初めて人前で歌ったのは、高校2年生の頃である。いわゆるバンド付きのボーヤとして、ドリフターズの現場で働きながらステージの最後に一回だけ、歌を歌わせてもらえたのだ。
1958年4月、立川の将校クラブで汗だくになって、憧れだったエルヴィス・プリスリーの『ハウンド・ドッグ』を歌い終えると、拍手と一緒に観客から「エルヴィス、また来いよ!」と英語で声がかかった。その時は嬉しくて涙が流れたという。
その翌年には最年少で『日劇ウエスタンカーニバル』に出演。『悲しき60才』と『ステキなタイミング』が連続してヒットし、坂本九が茶の間の人気者になったのは1960年のことだ。
過密スケジュールの中にあったために、『上を向いて歩こう』の譜面を見せられたのは、『第3回中村八大リサイタル』の当日だった。そしてマネジャーの曲直瀬信子から、口伝でメロディを教えてもらった。
「あの曲を貰った時はどうしようかって思った。だってメロディに対して恐ろしく歌詞が少ない。最初間違いかと思ったくらい……で、いろいろ考えてああいう歌い方をしたんです。八大さんは僕ならプレスリーみたいに歌うだろうと思っていたらしいから」
1961年8月19日、NHKの『夢であいましょう』で、『上を向いて歩こう』はテレビを通して遂に日本全国に届けられた。
曲も詞も歌い方も、どれもが前例のない表現だった。その夜、多くの若者が心打たれて、そこから空前の反響を巻き起こしていく。
アメリカで全米チャートの1位に輝いたのは、1963年6月15日のことだ。奇しくもその日は、東大生の樺美智子さんの命が奪われた日だった。
「もう『上を向いて歩こう』は僕だけの歌じゃない。世界中の人の歌なんだ。生意気なこと言うみたいだけど、『上を向いて歩こう』って世界中の人への素晴らしいメッセージだと思いませんか? 僕はそのメッセンジャーボーイになれただけでも光栄です」
坂本九が言った通り、この歌は日本だけでなく世界中に知れ渡って、60年以上経った今も、夢や希望を忘れない人々に歌い継がれている。
文/佐藤剛、中野充浩 編集/TAP the POP サムネイル/2023年6月15日発売
『THE BOX of 上を向いて歩こう/SUKIYAKI【生産限定盤】』(UNIVERSAL MUSIC)
参考・引用/『上を向いて歩こう』佐藤剛(岩波書店)