「明日の朝までに10曲作ってほしい」と頼まれたピアニスト

伝説の始まり。それは1959年5月のことだった。

中村八大は日比谷の東宝本社で、映画プロデューサーから「低予算ロカビリー映画の劇中で使う歌を10曲、明日の朝までに作ってほしい」という、とんでもない仕事を頼まれる。

約束はしたものの、作詞をどうしたらいいか分からない。不安を抱えながら歩いていると、有楽町の日劇前で顔見知りだった放送作家と偶然に出くわした。

永六輔だった。

2018年1月29日発売『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界 特選ベスト~笑う門には福来たる篇』(TBS ProNex)のジャケット写真。テレビやラジオなど放送の世界を中心に活躍していたが、中村八大とのコンビで『上を向いて歩こう』『遠くへ行きたい』『こんにちは赤ちゃん』などを発表し、1960年代の日本歌謡界を代表する作詞家に
2018年1月29日発売『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界 特選ベスト~笑う門には福来たる篇』(TBS ProNex)のジャケット写真。テレビやラジオなど放送の世界を中心に活躍していたが、中村八大とのコンビで『上を向いて歩こう』『遠くへ行きたい』『こんにちは赤ちゃん』などを発表し、1960年代の日本歌謡界を代表する作詞家に

事態は急を要するので、藁をもつかむ心境で彼を呼びとめてワケを話した。すると、快諾してくれたので、そのまま自分のアパートヘ向かった。二人とも作詞作曲の専門家ではなく、ピアニストと放送作家だった。

本来なら、一つずつ作詞したものに作曲するか、作曲したものに詞をつけて完成させる。だが時間がなくてそんな手順は踏んでいられない。とにかくそれぞれ勝手に10曲作ることにした。

その中から、斬新なロッカ・バラード『黒い花びら』が、映画『青春を賭けろ』の挿入歌として選ばれた。

六・八コンビの処女作となった『黒い花びら』は、それまでにない新しい感覚で若者の支持を受け、ロカビリー歌手の水原弘によるレコードが1959年7月に発売になると大ヒット。

1959年発売『黒い花びら』(東芝レコード)のレコードジャケット。それまで洋楽を手がけてきた東芝レコードが手がけた邦楽レコードの第1号。第1回レコード大賞をこの曲で受賞した水原弘は「レコード大賞? なんだい、そりゃあ」と言ったという逸話も残っている
1959年発売『黒い花びら』(東芝レコード)のレコードジャケット。それまで洋楽を手がけてきた東芝レコードが手がけた邦楽レコードの第1号。第1回レコード大賞をこの曲で受賞した水原弘は「レコード大賞? なんだい、そりゃあ」と言ったという逸話も残っている

さらにはその年に創設されたばかりの第1回日本レコード大賞で、グランプリを受賞した。