「今日は力を出し切れませんでした」
レース直後、武豊はこう振り返った。
「駄目だったですね。周りが言っていたほどついていけないなんてことはなかったけど、好スタートを切れて(道中3番手を進み1番人気で3着だった)ヒシアケボノの後ろくらいにつけられると思ったら、外から一気に来られてしまって……。
枠順のせいにはしたくないけど、内枠で(上位に)来ているのは僕の馬ぐらいですから。今日は力を出し切れませんでした」
外枠からの発走だったら邪魔されずに取りたかった位置でレースを進められたかもしれないが、狙った場所に他馬に入られてしまったのは、ナリタブライアンに速い流れに乗れる脚がなかったからとも言える。
「オールマイティーの馬をつくりたい」と大久保(調教師・大久保正陽)はかつて語っていたが、距離体系が確立し、距離ごとにスペシャリストが幅を利かせるようになった時代にそれを求めるのは酷だった。だが、大久保正陽は、現実から目を背けるようにこう言った。
「残念ではないよ。十分盛り上げたでしょ。らしさを見せてくれたし、納得のいくレースです。展開や位置取りでジョッキーも苦労したんじゃないかな」
「納得のいく」とは、まるで「ここはひと叩き。本番は次回の宝塚記念」と言っているかのようだった。そのように思ったのは僕だけではないだろう。
ナリタブライアンは、このレースで1400万円の賞金を獲得。これで総獲得賞金は10億2691万6000円となり、メジロマックイーンの10億1465万7700円を抜いて国内並びに世界の賞金王となった。
ナリタブライアン主戦騎手だった南井克巳は当時何を思っていたか
南井克巳も、この高松宮杯に騎乗していた。先約のあったエイシンミズリーの手綱を取って最下位13着に終わった。ナリタブライアンの結果を彼はどう見て、どう思っていたのか。2023年秋に振り返ってもらった。
「かわいそうだと思いますよ。値打ちを下げちゃったね。ああいう偉大な馬は、最後までやっぱりちゃんとしなきゃ。最後は肝心ですよ」
──結局は人間が決めることですからね。馬は自分で価値を決められないので
「そう」
──人間が責任を持って馬のために考えてあげないといけない、ということですよね。だから、もし南井さんがナリタブライアンを預かっていたら高松宮杯には……
「使ってないって。こんなことはしない」
──高松宮杯にナリタブライアンが出走すると陣営に聞かされた時は
「『えー!?』と思いましたね」
──南井さんが乗れなかったのは……
「もう武豊で行くようなことを言ってたんじゃないの」
──そうなんですね
「うん」
──それはつまり降ろされた……
「降ろされた。降ろされたと思うよ、完璧に。こんな(レースを)使うんだもの」
南井さんの口から初めて出た告白に疑問が氷解していった。