主役は誰か
ここまで、評者は「書かれていないこと」ばかりを書いてきた。では、不足だらけのこの本はつまらないのかといえば、そうではなく、とても面白い。彼女があえて書かないことによって、本書は逆説的に大切な狙いを達成しているからである。
この本をしみじみ味わうには、どうあっても2度読んでほしい。1周目はストレスが溜まるかもしれないが、その翌日でも翌週でも、再度目を通せば、これまでにない移住日記の世界を体験できるだろう。ではもう1度、頭から。
都会的な暮らしをしていた藝術家が限界集落に移住となると、都市生活や現代アートの軽薄さを強調し、返す刀で田舎暮らしの素晴らしさを描くのが早く、安く、うまい。しかし、彼女はお手軽に敵を作る手法には頼らない。
ドカ雪で停電が起きれば、高圧応急用電源車を手配してくれた役所に感謝し、ウェブを使ったオンライン飲み会も楽しむ。かつて、山熊田から貴重な民具や古道具を安値で買い叩いた民藝運動に対してさえ批判には終始せず、好意的に捉えるための視点をどうにか設定しようと試みる。
彼女は山熊田を創作の材に使い、自分の本に山熊田を従属させるのではなく、集落の一員として、自身の著作を山熊田に仕えさせているのである。