マタギとは誰のことか

こうした「書かれない謎」は、すでにタイトルから始まっている。『現代アートを続けていたら、いつのまにかマタギの嫁になっていた』。著者が初めて山熊田を訪れたのは2014年10月【2】、その頃の彼女はマタギについて何も知らなかった。

山と熊と田んぼしかない限界集落でマタギの嫁になった現代アート作家。豪雪地帯の四季と謎だらけの村を語る【〈ノンフィクション新刊〉よろず帳】_2

〈無知は自覚しており、マタギがどういうものであるかさえ知らない。けれど、わからないままも気持ちが悪い。もしもマタギが現代に存在するなら、どんな人々で、どんな暮らしで、どんな人生観なのか〉【1】

彼女は山熊田に通い詰め、約1年後に〈マタギの嫁〉になった。では、マタギとはどんな人々なのか。じつは、その定義は本書には書かれていないのである。たとえば、「現代のマタギ」の取材を広範囲で続けている田中康弘は〈マタギは遥か昔に絶えている〉【3】と言う。

ここで田中が前提としているマタギは、狩猟を生業として山の獣のみで生計を立てていた集団のことだ。そうした集団はすでに存在しないので、それぞれの地域に伝わる伝統的な猟法や呪文を継承して〈おらマタギだ〉【3】という確固たる自意識を保持する者を、田中は「マタギ」と見做している。

マタギの別称ヤマンド

あるいはさらに昔、1980年代に、山熊田と同じ新潟県の集落・三面(みおもて)に通った田口洋美は、自身が著書において三面を〈マタギ集落〉【4】と記したことを、あくまで便宜上の表現だとことわっている。

〈福島県の会津地方や、長野県の北部、新潟県、山形県の一部などではマタギというのはあくまでも秋田の狩人を指す名で、自分達をマタギとはいわない。ヤマドあるいはヤマンド、ヤマビトなどと呼ぶ地域が多い。意味にしてもマタギは狩人のことだけを指していうが、山人は狩人だけでなく樵夫なども含んでいる(…)つまり、正確に表記するならば三面は『山人の集落』とするべきである〉【4】

しかし、本書においては、彼女の夫が〈マタギのキャプテン的存在〉の〈頭領〉であることや〈正面から命の駆け引きを繰り広げて恩恵をいただける、と考えるマタギ精神からすれば、穴熊猟はズルくて、自分たちの信条からズレた手段なのかもしれない〉といったわずかな考察が書かれているだけで、山熊田の人々の何をもってマタギと規定したのか、そのことについては一言も現れない【1】。それは、彼女が継承し、愛して止まない羽越しな布についても同様である。シナノキの樹皮を使った古代布についての話も、ほんのわずかにとどまる。