日本人はなぜ入れ墨をやめたのか

その答えはおそらく漢文化の影響です。「魏志倭人伝」で倭人の入れ墨のことを興味深く書き残しているのは、それを書いた漢人にはその習慣がなかったからに違いありません。

彼らにとって入れ墨は刑罰のひとつであり、入れ墨を彫っているということは罪人であることの印であったのです。その文化が日本列島に流れ込み、和人は自分たちの伝統文化だったもののひとつをすっかり忘れてしまいました。そして周囲に残る入れ墨文化を、奇異なもの、野蛮なものとして見るようになっていったのです。

ところで、アイヌの入れ墨はおもに女性がするものですが、27巻269話には男性の入れ墨の話が出てきます。アイヌの埋蔵金のありかを知る唯一の生き残りの老人、キムㇱプの両手の親指のつけねにほどこされた入れ墨です。これは、「狩りがうまくなるようにと、右か左かどちらかの手に」彫ったといわれるものですが、キムㇱプはそれを両手に彫っていました。

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27巻269話より ©野田サトル/集英社

これは、『アイヌ民族誌』(135頁)にほんの数行書かれていた記述に基づいています。この記述の著者自身、1937年ごろに屈斜路(くっしゃろ)で一例見かけただけという、非常に稀な事例です。野田先生はそれを物語に見事に組み込んでみせました。

埋蔵金のありかを探していた7人のアイヌたちは、鶴見中尉(註:大日本帝国陸軍第七師団に所属する情報将校)がウイルク(註:アシㇼパの父)の正体を明かしたことによって疑心暗鬼に陥り、仲間割れを起こして殺し合い、ウイルクひとりを残して全員死んでしまいます。

ウイルクは自分も死んだと見せかけるために、自分自身も含めた全員の顔の皮をはぎ取って入れ替え、その場にいたことにはなっていなかったキムㇱプの顔の皮をかぶって逃亡するという、想像を絶する行動に出ます。

ところが鶴見中尉は、実はそこに8人のアイヌがいたことを察知。ウイルクは舟で支笏湖(しこつこ)を渡ろうとするところを追いつかれて舟を沈められ、鶴見中尉の手から逃れるために自ら監獄部屋に出頭して、典獄・犬童四郎助(いぬどうしろすけ)の囚人となります。「のっぺら坊」誕生の瞬間です。

一方、キロランケは、7人のアイヌの遺体の中に両手に入れ墨をしたものがあったということから、キムㇱプがその遺体のひとりだったという噂を聞いて、ウイルクがのっぺら坊ではないかという結論に達し、変わってしまったかつての同志を殺そうと決意することになったと、ソフィアに手紙で書き送っていました。

はてさて大変恐ろしい顚末(てんまつ)なのですが、囚人たちの背中に入れ墨を彫った顔のない「のっぺら坊」のことは、すでに第1巻から出てきたはずです。野田先生はその時点でこんな展開を考えていたのでしょうか。考えてみると、そっちの方が恐ろしい話ですね。

文/中川裕

#1 幼きアシㇼパと父・ウイルクが星座について語り合う名場面の元ネタとは
#2 人気キャラのウイルクとキロランケ。その創作の裏に「アイヌ語監修者」の存在アリ

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